BABYMETAL 海外 WEMBLEY ARENA ライブレポート 

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※お断り
ご覧いただきまして誠にありがとうございます。
本エントリーはほぼ旅日記となっており、雑感も含まれておりますので大変長いです。
ライブレポのみをご覧になられたい方は 3. セットリスト~ をお勧めします。
ご了承のほど宜しくお願い致します。

 

 

1.

それが意識下なのかはわからなかった。
けれど確実に陰鬱な気分だった。
もう一度ガタンと機体が揺れた。
僕は悶えるようにシートの中で身を捩らせると、目を擦りながら眼下に地表を見た。

 

垂れ込める暗雲の遥か下方、蒼く、巨大な気圧配置図のような曲線が、何とはなしに瞳に映った。
それらは海岸の白縹から順に、天色、瑠璃色、紺青、濃藍といった濃淡の広がりを見せていた。
飛行ルートからドーバー海峡に差し掛かったのだと少ししてから認知した。
やれやれ、やっとイギリスか、と僕は小さな嘆息を漏らした。

 

置かれた状況の変化からくる、落ち着かない気分が、今の天候のように、うすら寒く控えている。
なんとなく釣り合いのとれない不安は未だ灰色がかった思慮の淵から零れ出ない。
意識を向けると否応にも憂鬱に傾かずにはいられなかった。
思えば、それは、チケットを予約した半年以上前から、心の奥底に根を張っていたのだった。

 

ロンドンのTHE SSE ARENA WEMBLEYで、BABYMETALのライブショーを観る。
即今、これほど人生を豊潤なものにしてくれる事象は、まず、他にはないだろう。
だいたいが本能に従って歩んできた路(みち)だった。
多少の無理を厭わずに未知の世界を旅すれば、人生は、これまで、たくさんの景色を見せてくれた。
そうと決めたら、あとはただ時間の中に身を委ねるとしよう。
「そのうち」といった副詞は無用だから早々にお引き取り願おう。
大切なのは、自分がしたいことを自分が理解し、断固たる決心でそれを実行に移すこと。
いつだって「今」がその時なのである。

 

ところが、である。
今回ばかりは「今」を「時間」に置き換えるたびに、決まって、厄介な疑念が脳裏に去来した。
判然とした不安が、いつの間にか、すとんと心に帰って来るのだった。
そしてそれは一旦戻ると、しばらくは意地悪く、思量の中心を離れない。
然るに、猛威を振るう嵐となって、遠い闇の底へ、今にもまっさかさまに吹き落そうとする。

 

僕は視線を落としたまま、正面から心胆に向き合った。
ここまでやって来ておいて失敗するなんてありえなかった。
僕は、難解な試験に臨んでいる生徒のように、静かに自分に言い聞かせる。
大丈夫。時間はまだ十分ある。だから間違いなく間に合うはず――。

 

 

 

――トランジットでイギリスに向かったのは前日の深夜だった。
期首(4月1日)は絶対に会社を休めないから仕方がなかった。
そして4月2日、ライブ当日に、イギリスに着く手筈であった。
時差がなければショーの開演時刻には到底間に合わない計算だった。

 

即ち、かなりタイトなスケジュールで、僕は機上の人となっていたのだった。
不測の事態が起こらないという保証はどこにもない。
目論見がほんの少し外れただけで計画のすべてが水泡に帰す恐れがあった。
つごう20時間もかけて向かったのに、会場着がライブ終演後では洒落にならない。
考えまいと無視を決め込んでも、意志に背いて心配事は常住坐臥頭を擡げた。
時間の中に身を委ねようにも、時間の縛りに囚われているから、焦りは絶え間なく生じてきた。

 

そして焦燥が積もり積もっていくと、楽観的な見通しは頭から消え去り、
最悪の結末ばかりを想像し、ひいては、幾ばくもなく、大いなる不安心を誘発するに至った。

 

そもそも仕事帰りでの旅程だったから、もとより頭の中には、言いようのない疲労と惰気とが、
まるで今にも降り出しそうな曇天の空のようにどんよりとした影を落としていて、
だから僕は、少しばかり苛々した感情も胸の内に抱えつつも、来たるべき時に備え、
フライト中はそれが完全に叶えられるとは到底思っていないながらも願望込みで、
早いところ肉体も精神も休めて疲れを取りたいと祈るような思いで搭乗したのだけれど、
余儀なく自らが蒔いた種により生み出してしまった、昭然たる憂慮を孕んだ空の旅は、
僕に、安らぎどころから寸秒の気休めさえも与えてはくれなかったばかりか、
何とも彼とも、突起物に触れた途端に破裂してしまう、パンパンに膨らんだ風船にように、
機内における僕の神経は間断なく張りつめた状態のままといった惨憺たる有様だったのである。

 

もっとも、少くらいは、平常心でいられる時間もあるにはあった。
それはもっぱら少し前の記憶がふと蘇った時で、たとえば昨日の仕事場での情景だったり、
通勤途中の見慣れた風景を思い浮かべた時などに無意識の領域で保たれていたのだけれど、
しかしそれらは、どれも空一面を覆っている雲の間隙から稀に洩れてくる陽光といった程度で、
所詮は束の間に過ぎず、懼れを内包した心情は、どういう感情よりも僕の心を圧し続けていた。
とどのつまり、ほとんどの時間、「時間」ばかりを気にかけて過ごす羽目となったのであった。
一刻の猶予も許されないという意義素は、まさに現状の僕のことを指しているように思われた。

 

果たして、僕の健康状態が紛うことなく悪化していったことはさておくとして、
若干の遅延はあったものの、幸いにもフライトはほぼ定刻どおりに進んでいった。
この調子でいけば、おそらく、昼頃には、地上の景色を拝むことができるだろう。
不安を駆り立てる妄想の階下から、不意に微々たる安堵がひょいと顔を覗かせた直後だった。
これまでの十数時間、気が張ってほとんど一睡もしなかった影響もあっただろう、
不覚にも僕は、いつとはなしに、うつらうつら微睡んでしまった。
そして機体の揺れで目覚めてみたら、既にドーバー海峡に差し掛かっていたという按配だった。
イギリスの領空に近づいてもなお、メランコリーな気分が心を占めているのは、
眠りに落ちる直前まで、意識の海上を懸念の波動が席巻していたからだろう。
安心するにはまだ早い。
思考の深層はのべつ幕無しに警鐘を鳴らし続けている――。

 

――ほどなくして航空機はガトウィック空港に着陸した。
逆噴射するエンジン音が、まるで猛獣の咆哮の如く滑走路に轟いた。
浮力は重力に変わったが、体はまだふわふわと浮いているような感覚だった。
煩慮の足枷が少し外れて心が幾分軽くなったからそんなふうに感じたのかもしれない。

 

僕は左手にLANDING CARD、右手に荷物を持って南ターミナルに降り立つ。
恰幅の良い強面の入国審査官が、睨みつけるような視線で紙面を舐めていく。
そして彼は、上目を使って、訝しむように、じろじろと僕を見た。
それから、「What’s the purpose of your visit?」、低い声で訊ねてきた。
僕は毅然とした態度で「I came to see the metal musical show」と答える。
「What? Metal musical show?」
途端に審査官の表情が曇る。語気には警戒の色が潜んでいる。
僕は小首を傾げ、しばし逡巡を重ねる。
楽曲は過度に重く、歌詞や情景を唱歌やダンスで表現しているのだから案外的を射ている。
けれど、主観に基づく見解を口にしたことで、却って余計な混乱を招いてしまったようだった。
ともあれ、意思疎通ができないまま、ここで時間を無駄に浪費するわけにはいかない。
僕は、きまりが悪いのを苦しい笑顔に隠しながら、たどたどしい口調で「BABYMETAL」と返した。
矢継ぎ早に「Concert at Wembley Arena」と言う。
審査官は、無言で頷くとパスポートにスタンプを押して僕に入国の許可を与えたが、
BABYMETALを理解したか否かは彼の微かな表情の変化からでは窺い知ることはできなかった。
なんとなく彼の片眉は「おまえもか」とでも言いたげに微かに上がったような気はしたのだけれど。

 

とにかく、最終的に、そういった経過も含め、30分弱で入国審査を終えることができたのだが、
8か月前のヒースロー空港のときと比べるとわずか4分の1ほどの時間で済んだ。
それを見越したうえでこの空港着のフライトに決めていたとはいえ、予想以上の結果となった。

 

手荷物検査場はスルーして到着ロビーを抜けていく。
ショップのBGMだろうか、鉄道へ向かう途中にどこからともなく「Metal Guru」が聞こえてきた。
僕はMarc Bolanみたいに伸ばした髪を揺らしながら通路を悠々と闊歩する。
しばらくすると、今度は、「Go West」のフレーズを耳にした。
不意に僕は立ち止まると、たった今取り出したばかりのiPodの液晶画面を少しだけ眺め、
それから、決意表明とばかりに、すぐにそれをバックパックのポケットの中にしまい込んだ。
発売されたばかりの「METAL RESISTANCE」を聴くのは帰りのフライトまで封印だ。
今はイギリスにいるのだから、その間くらいは、この国で愛されている音楽を聴くべきだろう。
“ いつだって旅に必要なのは大きなカバンではなく、無意識にハミングしてしまう音楽さ ”
昔誰かが言った台詞をふと思い出し、僕は微かに口角を上げる。
そして“ Go West! ”と鼻歌交じりに、駅のホームに通じる西側の階段を颯爽と下りていった。

 

 

 

それから僕はガトウィック・エクスプレスに乗車し、一路ヴィクトリアへ向かった。
そこからは地下鉄を乗り継ぎ、ウェンブリーパークを目指した。
ちなみに特急のEチケットとチャージ済みOyster Cardは渡航前に手配済みだった。
移動のタイムロスを極力省き、予定どおり、順調に物事が推移するように。
時差の担保がジリ貧になってしまわないように。

 

ここまで来ると、時間はさほど問題ではなくなったけれど、一つだけまだ懸念材料があった。
それは、ウェインブリー・アリーナにはクロークがないということである。
近辺にコインロッカーがあったとしても間違いなくすべて塞がっているだろう。
だから開演前に一旦荷物を置きにホテルへチェックインする必要があった。
移動手段の考慮やチケットの受け取り手続きであまり時間を割くわけにはいかなかった。

 

 

 

最寄り駅に着くなり、逸る気持ちを抑えながら目的地へ急ぐ。
階段を下り、高架下をくぐり、オリンピック・ウェイを進む。
行脚僧のように、一心不乱に、黙々と歩いていく。
本懐を遂げるため、心なしか、視野狭窄に陥っている。
スタジアムの手前で右に折れ、エンジニアーズ・ウェイに入っていく。
瞬間、もうすぐだ、と強い意識を持つ。
と同時に、ウェンブリー・アリーナを視界に捉える。
刹那、肩の力が抜け、全身の筋肉が弛緩していくのを自覚する。
ここが世界中のミュージシャンたちの憧れの聖地なのか――。
そんな思いに囚われ、一弾指心を奪われる。
同じ方向に進むほとんどの人は海外メイト、いわゆる“ キツネ ”たちなのだろう。
はたと気付けば、彼らは多種多様なBABYMETAL TEEやトレーナーを身に纏っていたのだった。

 

 

 

Box Officeでチケットを引き換えると、バウチャーのTシャツをもらうために場所を移動した。
物販を兼ねた列の最後方に並ぶ。
しかし1時間ほどが経過しても、列はほとんど動くことはなかったのだった。
周りの情報によると、どうやら販売員は2人だけでさばいているようだった。
これは無理だと諦め、僕は、チェックインするためにベーカーストリートまで戻ることにした。
ほとんど眠らずに入国しているので、長時間物販の列に並ぶ体力はそれほど残ってはいなかった。

 

再びジュビリー線に乗り、ベーカーストリートまで戻る。
噂どおり、ロンドンの地下鉄はとても使い勝手が良かった。
「Oyster Card」はそっくりそのまま「Suica」の役割を果たしている。
ちなみにサークル線はぐるっと回っている路線だからどうしても山手線を彷彿とさせた。
今回は乗車しなかったが、ヴィクトリアからベーカーストリートまでの路程を例えるなら、
品川で乗車し、外回り線で池袋で降車する。そんな感覚だろうか。

 

 

 

ベーカーストリートに着くと、大股で予約済みのホテルに向かった。
チェックインを終え、カードキーを受け取り、足早に階段を下りていく。
時刻は夕方の4時を回っていた。
体は疲労困憊だったが、ゆっくりとしている暇はあまりなかった。
僕は部屋に入るとすぐにシャワーを浴び、それから、急いで身支度を整える。
おなじみのBABYMETALグッズに身を包んだ出で立ちだ。
部屋を出ようとして、けれどふと思い止まり、ウォールミラーで具に全身をチェックする。
鏡の中にある僕の顔は、鏡の外にある僕の顔を見ると、頷きながら納得の含み笑いをした。

 

再び駅に戻り、今度はメトロポリタン線のホームを目指す。
時折スマホで時間を確認しながらワトフォード行きの電車に乗り込む。
降車予定のウェンブリーパークは数えて三つ目の駅だった。
車中、頭の中にあるのは時間のことばかりだった。

 

ウェンブリー・アリーナに戻ってみたものの、物販の列の歩みは変わらずに遅いようだった。
だからそこですっぱりと物販は諦め、僕はスタンディングの列に並んだ。
と同時に、鼻から息を吸い込み、腹の底から安堵の溜息を吐き出した。
続けざまにもう一度大きく深呼吸をする。
そして上空を見つめ、まだ憂いが残っているのならそれを一掃しようと思って
今一度大きく息を吸い込むと、肺の中の空気が空っぽになるまで長く息を吐き出した。
「憑き物が落ちた」といったような感覚をひしひしと味わう。
目のツボをマッサージしたわけでもないのに、急に視力が回復して、視野は一気に開けていった。
強迫観念じみた、あの精神的活動を束縛していた忌々しさはすっかり雲散霧消している。
奇しくも 、視界に映るものすべてが、一種清新な雰囲気を醸し出しているように感じられた。

 

――よしっ、間に合ったぞ。
僕は人知れず小さくガッツポーズをする。

 

細胞が瑞々しさを取り戻したといった具合に、突如として体の中からみるみる力が漲ってきた。
寝不足なのに頭は冴え、全身にエネルギーが充満し、指先には自然と力が入る。
まだ開場前だというのに随分と満ち足りた気分だった。
肝心な大仕事を納期前に完璧に終えた、そんな達成感すらある。
愁眉を開いたことで、ようやく、待ち望んでいた現実を直視できるようになったからだろう。
幼少の頃、遠足や夏祭り、家族旅行といった催し事の前夜に何度も抱いたことがある、
期待に胸をわくわくさせる純粋な感情が、童心と追憶を忍ばせながら急速に沸き起こってくる。
空は生憎の小雨模様だけど、先刻まで胸中を覆っていた灰色の霧はすっかりと晴れ渡っている。

 

僕は上体を少し反らし、会場を俯瞰して眺める。
不意に思考が一辰刻先に飛ぶ。

 

日本人アーティストがこれまでに見ることのできなかった景色。
その景色を、観客として共有するという、何ものにも代え難い、
かけがいのない体験が、壁のすぐ向こう側で待っている。
しかも今宵はニューアルバムを引っ提げての初のライブショー。
新曲の幾つかが初めてお披露目される可能性は極めて高い。

 

僕は早くも興奮を覚えずにはいられなかった。
延々と苛まれていた大きな不安が消え去り、心はまっさらな状態だから、
感性が研ぎ澄まされ、より甘美な想像力を働かせているのだろう……。
想像? ――にしても、現実よりもリアリティに溢れている。
過去に参戦したライブの記憶が無意識に解放された所為であろう、
頭の中では怒涛の勢いでフラッシュバックが起こっているのだった。

 

かくして、今しがた昂ぶった感情が、愉悦に満ちた幻想を心に幾重にも抱かせてくるから、
その場で僕は、浮足立った様子で締まりのない笑みを零し続けるほかなかった。
自然と胸懐に忍び込んだ、敬意を払った想望の調子だけは、どうすることもできなかった。
ふと周りを見渡せば、異国の人たちの賑やかな話し声や笑い声がロンドンの春茜を揺すっていた。

 

 

 

 

2.

 

“ ウェンブリー ”という地名を聞いたとき、おそらく多くの人が、
アリーナよりもスタジアムの方を思い浮かべるのではないだろうか。

 

本来はサッカー場であるこのスタジアムは、大規模なコンサート会場としても有名な施設で、
昨年、Ed Sheeranが、同会場で3日間計24万人を動員したことは記憶に新しいところである。
古くはQueenやMichael Jackson、近年ではMUSE等が同会場でコンサートを行っているが、
個人的に思い出深いのは1992年に開催されたFreddie Mercuryの追悼コンサート。
その中でも特にElton JohnとAxl Roseがヴォーカルで参加した「Bohemian Rhapsody」の
ライブLDはとても印象的だったので、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
そんな思い入れもあってか、“ ウェンブリー ”と聞いただけで僕はいつも胸が高鳴ってしまう。

 

そしてこのウェンブリー・スタジアムの隣にあるウェンブリー・アリーナで、今宵、
海外におけるBABYMETALの単独ライブとしては過去最大となるライブショーが開催される。
規模はスタジアムに劣るけど、それでも、アリーナのキャパシティは最大で12500人。
多少人気があってもすぐには辿り着けない、言わずと知れた、世界的に有名なアリーナである。
たとえば単純な話、イギリスの人口や音楽市場の規模は日本の約半分だけど、そのことからでも、
このサイズの会場でライブを実施する価値がどれほどのものであるのかは自明の理であろう。
しかも日本語で歌い、さらには、ヘビーメタルの発祥、発展の地での単独ライブ開催なのである。
それゆえ、特に年配――団塊ジュニアの、洋楽ロック全盛の頃に青春時代を過ごされた方々は、
彼女たちの煌びやかなサクセスストーリーをリアルタイムで追うことに痛快さを覚える一方で、
この地でライブを行うという現実を直視するだけで万感の思いが胸に迫るのではないだろうか。

 

本来であれば一足早く、3月12日に、X JAPANがこの会場でライブを開催する予定であった。
しかしながら、PATAの緊急入院に伴い、止むを得ずライブは1年後に延期となった。
今はPATAが少しでも早く回復される(「ウェンブリーで俺は死ぬ」「ウェンブリーで死んでやる」
という台詞は今も胸に響いている)ことをただただ祈るばかりだけど、期せずしてBABYMETALが、
日本人として初めてウェンブリー・アリーナで単独ライブを開催するアクトとなった。
その紛れもない事実は、売上や知名度はさておき、今日の日本の音楽業界で最も突き抜けている、
いや、最も成功していると言っても過言ではないように思う。
その偉業に触れて感慨に浸ると、僕は、重ねて畏敬の念を抱かずにはいられなかった。

 

その後、開場時刻になるまで30分ほど待った。
その間、僕は、周囲に無言の視線を注いでいた。
列の進行具合はのそのそと遅々たる歩みであったが、床の上を身軽く滑って行くようでもあった。
おそらくは僕も含めてみながみな、焦慮と翹望とを代わる代わる味わっている。

 

ようやく順番がまわって来たので、僕はリストバンドを係員に見せて入場する。
続けざまに手持ち品ならびにボディチェックを受ける。
入場の際、ふと後方を振り返ってみたところ、行列はまだまだ続いていた。
最後尾付近の人たちはみな、指をそろえたほどに小さく見えた。

 

会場に入ると、僕はおそるおそる通路を先に進んでいった。
崇高な歴史とネームバリューに、心が若干委縮したからであろう。
ロックの系譜に連なる往年のロックスターのポスターが威風堂々と柱間隔で迎えてくれる。
近未来的なデザインをした通路の壁や天井には、幻想的に発行しているネオンサイン群が、
ある時は明朗な金春色を、ある時は陰鬱な花紺青を、人波の透間にちらつかせていたのだった。

 

少しばかり心を落ち着かせてからホールに入場する。
新春キツネ祭りを彷彿とさせるような花道、そしてその先には小さなステージがあった。
僕はスタンドを見上げながらアリーナを進んでいく。
見たところ周りは体格の良いキツネアーミーたちばかり。
今日はフェスではないから、紛れもなく全員がBABYMETALだけを観に来ている。
スタンドを含めれば、まもなく、ここに万を超す彼らが集結することになる。
その世界を想像するに、僕は、これまでに変化してきた過程を想起せずにはいられない。

 

何かしらのBABYMETAL関連の情報が解禁となると、今や世界中のメディア・音楽情報サイトが、
そのニュースをいち早く、大々的に取り上げるようになった。
輓近でいえば、アルバム収録曲の発表然り。シングルの先行配信然り。同曲のMV解禁もまた然り。
そしてそれは、一昨年、昨年、今年と、年々地図の範囲が飛躍的に大きくなってきている。
今や彼女たちは世界的に注目に値する存在となっている。

 

「世界を震撼させる」と言ってしまったらさすがに語弊があるかもしれないけれど、
「驚きをもって受容する」といった意味合いで、それに近い感覚を、僕は此の程、何度か抱いた。
彼女たちの新しい情報が少し明らかになっただけで、まるで水を得た魚のように、
これほどまでに世界中が即座に反応を示すから、驚嘆しながらそれらを一つひとつ受容していった。
「KARATE」やアルバムレビューにしても、さながら品評会のように各国の音楽誌を賑わせたけど、
その中には、BABYMETALのルーツを辿って“ さくら学院 ”にまで言及しているものもあった。
その著者、ないし記事を読んでルーツを辿っていった人たちは、さくら学院を深く知るに連れて、
なるほどそれで彼女たちはこれほどまでに洗練されているのかと膝を打ったのではないだろうか。

 

ほんの数年前までは、海外メディアサイトの記事自体が珍しい状況であったのに、
今やBABYMETALの最新情報がそれらに掲載されることは至極当然のこととなった。
それもすべてを把握しきれないほどに、いろいろな国のいろいろなところが情報を発信している。
その傾向は、欧米はもちろん、東アジア、オセアニア、南米、さらには中東にまで波及している。
そして多少なりともそこで情報を得ている人たちが、今宵、僕の周りに分厚い人垣を築いている。
BABYMETAL熱に魘されている彼らの熱狂が今夜のライブを伝説的なものにすると確信している。

 

僕は、ピットの中央付近に位置を得ると、前方に瞳を凝らした。
ステージは暗いのでここからではセットを確認することはできなかった。
そうこうしているうちに、キツネたちが周りにどんどん溢れてきた。
興奮を抑えきれないのか、BABYMETALと叫んでいる人が何人もいる。
その中には、片言の日本語でメギツネを唄っている者もいた。
多くのキツネたちにとって日本語は、未だ未知の世界のものといった感覚であるのだと思う。

 

今でも僕は洋楽を聴く際は、ヴォーカルはほとんど楽器の一つという意識で聴いている。
おそらく、日本語が分からないキツネたちも、僕と同じく、楽器の一つといった範疇で、
SU-METAL、YUIMETAL、MOAMETALの歌声及び合いの手を楽しんで聴いているように思うが、
とりわけSU-METALの歌声には、言葉の壁を超越した感銘を受けていることだろう。
現に、歌詞はわからないのにSU-METALのヴォーカリストとしての資質を賞賛する批評も、
以前に比べて記事の中で散見されるようになり、各国のアルバムレビューの中でも多く目に付いた。

 

そのアルバムに関して、僭越ながら、少しばかり形容させていただくとすると、
1stは、幅広いメタルの世界への入場許可証、名刺代わりの逸品であったように思うが、
2ndは、世界の音楽シーンを自由に行き来することを許されたフリーパスといったところだろうか。
それが発売されるまで斜に構えていた人たちも、礼節や尊意をもって接するほかない。
実力で騒音を抑え込み、行く先々で歓迎される、希少価値の高い作品と言える代物なんだと思う。

 

各曲の詳細なレビューに関しては専門の方にお任せするとして、印象だけで総評すると、
2ndは1stに比べてカオス度は減り、ややメタル寄りに軸が傾いてはいるが、
アイドルとメタルのどちらにも寄らないようには相当気を遣ってるとKOBAMETALが言うように、
今作も非常にバランスの取れた、BABYMETALの本質を見失うことのない優れた内容である。
特にBLACK BABYMETALの2曲は、ヘビーなリフに眉根を寄せて険しい表情でヘドバンをするも、
2人の可愛らしい声と歌詞とのギャップに思わずニヤリとせずにはいられなかった。
もっとも、どんなに重く、どんなに速く、どんなに激しい楽曲揃いであったとしても、
3人のビジュアルだけでアイドル的要素は十分に担保されているのだけれど。

 

また、ニューアルバムでは、SU-METALのヴォーカルに随分と感嘆したものだった。
何度感極まって涙を浮かべたのか記憶にないほどに。
1stに比べると、比較できないほどパワフルになり、高音域も広がり、
それによってレンジの幅も広くなり、そしてストレートに響いてくるから深い陶酔感を抱く。
彼女はもはや日本の至宝と呼んでもいいほどに、傑出した才能の持ち主であるのだと思う。
ともかく、改めて自分はSU-METALの歌声に惚れ込んでいるのだなと再確認した次第だった。

 

僕は大きく息を吐くと、ぐるりとアリーナを一周して眺めた。
ピットにいる多くは男性だったけれど、女性客の姿もそれなりに目に付いた。
その中には、髪をツインテールで結んだコスプレ姿の人も何人かいた。
年齢制限があるので、14歳以下の多くはスタンドから観戦するようだ。

 

それにしても開演前のわざつきがすごい。
Daniel P CarterによるDJの影響もあるが、
さんざめく声が熱気の渦に混じって館内に充満している。
まるで建物自体が興奮のあまり荒い息遣いをしているかのようだ。
ふと見上げると、獰猛なネコ科の肉食動物が暗闇の中で目を光らせているように、
天井にぶら下がっている照明群がこちらを見据えて燦々煌々と輝いているのだった。

 

なるほど、久しぶりのライブだからか、と少ししてから腑に落ちる。
思えば1年5ヶ月振りのイギリスでの単独ライブ。
待ちわびていた想いが、アリーナ中を包むこの躍然たる空気の根底にあるのだろう。
何がなし、BABYMETALに対する愛情が一分ごとに強さを増してきているような趣があった。
そういった彼らの、慈愛に満ちた情動の機微に触れると、開場前に抱いていた幻想の数々が、
温かな心地に包まれるとともに、ふたたび脳裏を駆け巡っていったのだった。

 

世界の舞台を躍進していく様を、リアルタイムで追えることに改めて心から感謝する。
伝説が生まれようとする瞬間に立ち会えるチャンスを与えられたことを光栄に思う。
BABYMETALと同じ時代に生きるということは、即ち、歴史の生き証人となることを意味する。
後世、世界の音楽史に間違いなく名前を遺し、功績が未来永劫称えられることは間違いない。
だから一瞬たりとも目を離さず、己の人生の史書に洩れなく記憶を記していかなければならない。
そして彼女たちと同等の偉業を成し得る日本人アクトは今後出現して来ることはないと思われる。
本当に? ――おそらくは。
なぜなら清廉で太陽のような輝きを放ち、三者三様に傑出した才能を備えたBABYMETALは、
この先決して現れることのない奇跡のユニットであるのだから。

 

開演15分前になると会場はほとんど埋まっている状態となった。
いったい今日はどんなステージングを見せてくれるのか、皆目見当がつかなかった。
それもそのはず、2ndアルバムを主体としたライブショーが開催されるのは初めてだったからだ。
1stアルバムの曲も多めに披露されるとは思うが、今後の展開――ワールドツアーを考慮するに、
やはり2ndアルバムの曲を重要な局面に配したセットリストになるのではないかと期待している。
願望と思惑が胸中で交差する中、運命の時は刻一刻と迫ってきているのだった。

 

 

 

 

3.

セトリ

01 BABYMETAL DEATH
02 あわだまフィーバー
03 いいね!
04 ヤバッ!
05 紅月 -アカツキ-
06 GJ!
07 Catch me if you can
08 ド・キ・ド・キ☆モーニング
09 META!メタ太郎
10    4の歌
11 Amore – 蒼星 –
12 メギツネ
13 KARATE
14 イジメ、ダメ、ゼッタイ
15 ギミチョコ!!
16    THE ONE – English ver. –

EN
17    Road of Resistance

 

定刻の8時半を過ぎても開演する気配はない。
焦れた観客たちが、SEの曲が終わるごとに歓声を上げたりコールをしたりしている。
不意に暗転したのは、開演時刻から15分ほどが経過してからだった。
瞬間、地鳴りのような歓声が耳をつんざいた。

 

左右のビジョンに新しいムービーが流れる。
イントロは「BABYMETAL DEATH」であった。
期待していた同曲での開始に自然と胸が高鳴っていった。
少しばかり違和感を覚えたのは、ムービーが終わらないうちに3人が姿を現したからだった。
ステージの2階に、早くも白装束姿の3人の姿があった。

 

遠目だからよくはわからなかった。
だけどそれがBABYMETALであることに疑念は抱かなかった。
だからいきなり小さなセンターステージに3人が突然姿を現してもすぐには気付かなかった。
そして3人にスポットライトが当たり、目前に急遽現れたことに歓喜することになったのだけれど、
その瞬間に僕が驚愕したのは、それだけが理由ではなかったのだった。

 

もしかしたら生で観るのが初めてだったのかもしれない。
暗闇の中から突然BABYMETALの3人が登場するなり、感極まったといった具合に、
近くにいる目の大きな黒髪の若い女性が大粒の涙を零しはじめた。
かと思ったら、まるでオモチャを取り上げられた幼児のように、絶叫のような叫び声をあげた。
その様子は只事ではないといった、周囲に戦慄を覚えさせるほどの、まさに号泣だった。
そしてそれは瞬時に僕の胸中に自制の氷を張らせたのだった。

 

僕は唇をギュッと噛んですぐさま彼女から視線を逸らす。
激しく波打つ感情を迅速かつ強引に抑え込まなければ、間違いなくもらい泣きしていたことだろう。
ライブショーはまだ始まったばかり。いきなり視界がぼやけてしまうわけにはいかなかった。
心痛を抱え込み、心持ち彼女に意識を払いながら、僕は眼前の3人を食い入るように凝視する。
ハンカチを持ち合わせていればよかったなと少しばかり悔やみながら。

 

音圧はそれほどでもないが、マシンガンのような「BABYMETAL DEATH」のリフが空間を切り開き、
3人が両手を上げて観客たちを鼓舞した瞬間から、ピットに騒乱をもたらした。
すぐ後方では早くもモッシュが始まっている。
みながみな笑顔で楽しそうに体をぶつけ合っている。

 

ピットは早くも興奮の坩堝だった。
しかしちらりと高所へ視線を向ければ、スタンドの観客はほとんど座っているままだった。
イギリスでは、シート席ではじっくりと鑑賞するスタイルが当たり前のようだ。
いや、スタンド席でもほぼ全員が起立するのは日本だけなのかもしれない。

 

3人が中央に鎮座したまま「BABYMETAL DEATH」が続く。
しばらくはここでパフォーマンスをするようだった。
異様なほどの熱狂が渦巻くの中、「BABYMETAL DEATH」が終わると、
次に聞こえてきたのはインダストリアルと混合したギターリフのサウンド。
「あわだまフィーバー」だった。
THE MAD CAPSULE MARKETS好きには堪らない、
ラウドとポップが化学変化した極致的ナンバーである。

 

この曲は、ヘドバンVol10のKOBAMETALの曲解説を読んで、目から鱗が落ちる箇所があった。
それはAメロのバックトラック。確かにレゲエのダンスホールスタイルのリディムが入っている。
トラックのテンポ的には「Candle Wax」のリディム(※30秒過ぎ)あたりだろうか。
90年代にダンスホールスタイルにどっぷりとハマっていた僕は、当時のことを思い出しながら、
曲が始まってから終始、狂ったように頭を振り続けていたのだけれど、
Bメロに入った直後、体の動きを一旦止めると、目を丸くして思わずプッと吹き出してしまった。
それは瞬刻、俄には信じがたい光景を目にしたからであった。

 

左前方にいる、熊と戦っても勝てるのではないかと思えるような体つきのいい髭面の大男が、
なんと、頭の上で輪っかを作ってにこにこ顔で「あわだまダンス」を踊っていたのである。
イメージとしてはまさにLadybeard。
彼(≒彼女)と同じように、目の前にいる大男も長い金髪を後ろで束ねている。
日本のライブでは決まって、ピット一面に「あわだまダンス」の風景が描き出されるけれど、
そのスタンスは、既に海を渡って異国の地まで広がっていた。
それも女の子たちだけではなく、こんな厳つい大男にまで波及していたから驚きだった。

 

意外な彼のダンスを見て嬉しくなった僕は、いつも以上にノリノリになって体を動かした。
SU-METALが可愛らしく唄っている間は頭を左右にブンブンと振り回し、
“ Ah ”と言えば、嬉々として“ Yeah! ”とジャンプして叫んだ。
ふと視線を感じたのはそんな折だった。
ちらりと周りを見ると、数人のキツネが興味深げに僕の方を見ていたのだった。
どうやら彼らはどんな風に曲に乗ればいいのかを模索しているようだった。
そういえばこの曲を海外のライブで披露したのは今夜が初めてのことだった。

 

そんな彼らの視線には気付かないふりをしていた僕だけど、
間奏に入ったところで少しばかり気が変わったのだった。
きっかけは3人による合図だった。
僕はさっと周りに視線を這わせると、レクチャーするように指を順番に立てながら叫んでいった。
“ ONE  TWO  THREE  FOUR! ”

 

その後は重いリフに体を沈み込ませながら揺れていたので何人に伝わったのかはわからなかった。
英語のカウントだから、おそらく僕が扇動せずとも、わかっている人は叫んでいたことだろう。
だけどその後に再びチャンスが訪れてきたので今度はしっかりと確かめてみようと思い至った。
僕は、周りのキツネたちの何人かと目を合わせると、それのタイミングを無言で誘導していった。
ステージの3人が快活に“ いち に さん よん! ”と叫べば、僕も指を立てて大声でそれに続いた。
“ ひー ふー みー よー! ”と叫べば、僕はさらにアクションを大きくして叫び返した。
周りのキツネたちが楽しげに、ちょっと怪しい発音で“ ひー ふー みー よー! ”と繰り返す。
思わず笑ってしまうほどの快然たる一体感を、そこにいるみんなで共有する。
僕は目を細め、ああ、これだよ、これを求めていたんだよと感慨に耽る。
少し体が震えているけど、それは、率先して周りを煽ったことによる緊張だけが理由ではなかった。
一緒に掛け声をあげるキツネたちの瞳がどれも宝石のような輝きを宿していたから、
それに感動して心が打ち震えてしまったことが大きな要因となっていたのだった。

 

サビが繰り返される中、観客たちの囂々たる熱気は鎮まることを知らなかった。
どうにも頭を混乱させるノイズ音に誰もが感化されているといった按配だった。
アウトロで、3人がドアを開けるポーズをしたところでようやく喧噪は収まっていった。
しかし少しの間を挟み、次の曲が始まると、すぐに騒々しい音が耳いっぱいに広がるのだった。

 

無数のレーザー光線に照らされて「いいね!」が始まる。
ライブで何度も披露された、良く知られたダンスチューンだから周囲の熱量はさらに激しさを増す。
SU-METALの渾身の膝蹴りを間近で見られるのは最上のひととき以外のなにものでもない。
途中、3人は“ YO! YO! ”と言いながら
花道を通ってメインステージに戻って行ったのだけれど、
前方の日本人が溜息を漏らす中、あるキツネは大声で「shit!」と叫んだ。
君の気持ちは痛いほどわかる、そんな視線を僕は首肯しながらそのキツネに向かって投げかけた。

 

コール&レスポンスでは、SU-METALが可愛らしい声でコールした。“ ウェーンブリー!”。
観客たちが小躍りして“ ウェーンブリー!”とレスを返す。
その後のブレイクダウンではみなが一斉にキツネサインを掲げた。
絶え間なく海岸に押し寄せる波のように、折り畳みヘドバンの波が会場を埋め尽くしている。

 

日本人もキツネたちも大声でいいね! いいね! の大合唱
ピットの熱狂は止まることを知らなかった。
そしてその熱狂は次の曲に移っても変わらなかった。
むしろ観客たちの動きはより激しさを増していったのだった。

 

スカパンクとメタルコア的な躍動感に満ちた「ヤバッ!」が始まると、
僕は笑みを浮かべ、すぐさま体を動かしてリズムを取った。
何ヶ月も前からBOOTLEG音源は聴いていたのだろう、分かってるよといった具合に、
周りのキツネアーミーたちも小気味良いリズムに合わせて各々体を揺らしている。
それにしても、イントロが始まった直後から、見事なまでに演奏とダンスがリンクしている。

 

HIPHOPやロックダンスなどをカッコよく踊る人たちは、パフォーマンスをより際立たせたり、
ダンスをお洒落に見せるために、手の動きを強調できるグローブを着用する傾向がある。
YUIMETALとMOAMETALも、意図的に片方ずつグローブを装着しているけれど、
ステップを踏む際にも何かしら手の振り付けがあるのでとても見栄えがよく見える。
とりわけこの曲は冒頭から手の動きが多いから、視覚的にも存分に堪能することができる。

 

SU-METALが“ どれでも同じ ”と唄い出せば、僕はスカのリズムに合わせてツーステップを踏む。
“ 気になっちゃってどうしよう ”からはパンクの激しいリズムにノって頭を素早く縦に揺らす。
YUIMETALとMOAMETALが“ ピッポパッポピー ”と軽快に唄えば、僕は再びツーステップで踊る。
ややもすれば、この「ヤバッ!」は、一本調子になってしまいがちな楽曲ではあるのだけれど、
それが逆に、踊り出さずにはいられないといった衝動を観客たちに促進しているように思う。

 

間奏に入ると、僕はステップを止めて、ステージ上で踊る3人のダンスを凝望する。
難しいタイミングでのストップ&ムーブの連続であるのに、3人の呼吸はぴったりと合っている。
このブレイクダウンパートでの一連のダンスは一見の価値あり。
「ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト」のダブステップ部に匹敵すほどの見応えがある。
この曲が映像作品に収録されれば、完コピをしたい人たちはより歓喜するに違いない。
そしてダンスの難易度に慄くもマスターした時のことを妄想し武者震いするのではないだろうか。

 

Cメロで沸き起こった手拍子の音がだんだんと大きくなっていく。
サビが繰り返されるごとにフロア全体が熱を帯びていく
大サビでの、YUIMETALとMOAMETALの混乱を表すダンスが、観客たちの熱狂に拍車をかける。
僕は、やや慊焉たる思いで、最後の“ ピッポパッポピッ ”に合わせてツーステップを踏んだ。
まさかこの年になって踊り足りないといった心境に陥るとは思ってもみなかった。
それだけBABYMETALの楽曲は秀逸な作品ばかり。どれを挙げてもそれぞれ楽しむことが出来る。

 

3人がステージの階下に消え、少し長めのピアノの調べが続いた後、
センタービジョンに映し出される紅い月を背景にSU-METALが登場する。
次に披露されたのは彼女のソロ曲「紅月」だった。
神秘的な登場シーンには心を奪われるばかりだった。

 

 

 

SU-METALが、いつものまっすぐな歌唱を披露する。
幻想的なシーンを目の当たりにし、鳥肌が立つ。
“ 紅月だー!” と叫んだ直後、SU-METALが走ってメインステージへ戻って行く。
駆けてゆく後ろ姿までが凛々しい彼女をずっと目で追っていく。
演奏が始まってからの、観客たちの爆発的なエネルギーは凄まじかった。
まるで狂気の沙汰といった具合に誰もが体を激しく動かしている。

 

この曲も長い間ライブで披露されてきたからなのだろう。
キツネたちの何人かは一緒になって唄っていた
僕は終始ヘドバンを続け、深い陶酔感を抱いていた。
やはりこの「紅月」は否応なく僕の魂を揺さぶる。
僕はうっとりとした視線でステージを眺め、脳が痺れるような感覚に身を委ね続けた。

 

そしていよいよ次に披露されたのが、今日のライブで待ちわびていた「GJ!」だった。
固唾を呑み、初めて披露されるBLACK BABYMETALの振り付けを凝視する。
それは人種関係なく、誰もが早く目にしたいと願っていた光景だった。
周りの観客たちの笑顔に待望の色が浮かんでいるのがいとも簡単に見て取れたのだった。

 

ラップメタルのリズムに乗ってみんなが小刻みにジャンプする。
初めてライブで披露された割には、観客たちは随分と勝手が分かっているようだった。
“ もっともっとホラ もっともっとホラ ”と一緒に歌いながらノリノリの観客たち。
シンプルな曲調というのも功を奏しているのだろう、次第に周りは熱気に包まれていったのだった。

 

間奏中に、真横にいたキツネ2人が、顔を見せ合わせて「OK」と言っている。
“ わかったよ。この曲はこういうノリでいいんだな ”、
そんな具合に示し合わせているようで、とても印象的な光景だった。
そして再びサビが訪れると、一緒に歌って踊るキツネたちは数を増していった。
弾けんばかりの笑顔で“ もっともっとホラ もっともっとホラ ”と大騒ぎをしている。

 

3人が一旦ステージからはけると、スポットライトは神バンドに当てられた。
「Catch me if you can」の冒頭のソロだ。
4人の神がそれぞれにテクニックを披露し、観客たちを大いに魅了する。
しかしその後すぐに、観客たちはそれ以上に惹きつけられることになる。

 

まずは3人が元気よく“ はい! はい! ”と叫びながらステージに登場する。
その際も、観客たちの熱狂は一段と高くなったのだけれど、爆発的な瞬間がその後に訪れる。
一昨年9月の幕張で披露された、赤の背景に黒いシルエットが浮かび上がる演出が、
ここウェンブリー・アリーナでも再現されたのだった。
異様なほどに興奮するキツネたち。
その様は、まるで天からの贈り物を授かったかのように歓喜の声で溢れ返っていたのだった。

 

フロア中が熱量を保ったまま「Catch me if you can」が続く。
僕はギターのザクザク音に合わせてヘドバンを繰り返す。
3人がいつものように楽しげにパフォーマンスを披露する。
もっと楽しませてくれ、とでも言うように、観客たちが手拍子でそれに応える。

 

すぐ後方では、終始激しいモッシュが発生していた。
不格好なサークルモッシュは、海外ゆえの愛嬌といったところだろうか。
おのおのがそれぞれに楽しんでいるのだからなんら問題はないだろう。
そうして大盛況のうちに「Catch me if you can」は終わったのだった。

 

続いて披露されたのは、3人のデビュー曲である「ド・キ・ド・キ☆モーニング」。
なにやら異変を感じたのはイントロのときだった。
振り返ると、そこには、いつの間にやらサークルが出来上がっていた。
そしてSU-METALが咆哮した瞬間、それは予想外の Wall of Death へ発展したのだった。

 

いかにも生粋のメタラーという出で立ちをした、いかついガタイの大男のキツネが、
若い男女の輪に混じって楽しそうに踊っているのも予想外といえば予想外だった。
“ 今何時!”とコールをし、満面の笑みで 手拍子をしている。
終始観客たちはノリノリのまま、やがて「ド・キ・ド・キ☆モーニング」は終了した。

 

そしてここで、また待望の新曲が披露されることとなった。
短いイントロの後、SU-METALがクリアボイスで「META!メタ太郎」を唄い始める。
僕は半分放心状態のまま、遠くのステージの3人を見つめる。
ふと脳裏に、この曲を初めて聴いた時のことが思い出された。

 

初めて聴いた時の感想は、なるほど、こういう曲だったのか、と笑みを漏らしたものだ。
しかし2回目に聴いた時に、僕は深い陶酔感に襲われ、感極まって涙ぐんだのだった。
おそらくはSU-METALの、心にまっすぐ訴えてくる歌唱が琴線に触れたからなのだと思う。
“ 君に聞こえているか? 心の声 君に届いているか? 仲間の声 ”
この歌詞が、どうにも自分に直接語りかけてくれているように思え、自然と涙したのだった。

 

分かり易いメロディに、みんなが「メタ太郎」と声を揃える。
分かり易い振り付けに、観客たちがすぐに真似を始める。
まるでディズニーランドのパレードでも観ているような気分だった。
途中の“ ぶっ飛ばせ メタ太郎 ”のSU-METALの一本足打法も見れて感激もひとしおだ。
会場に一体感を生み出したところで、このメタル行進曲はやがて終わりを告げた。
気が付けば、今回もまた、僕の両の頬には涙の筋が出来ていたのだった。

 

新曲を初めて観られたことによる興奮が冷めやらないうちに、ビジョンには新たなムービーが。
「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」のパロディ風映像に、周りの観客たちが笑い声を上がる。
破壊力抜群のリフに合わせ、YUIMETALとMOAMETALが笑顔で階段を下りてくる。
2人を待ち受けている観客たちは大声で“ よん! よん! ”と繰り返し声を張っている。

 

途中のレゲエパートでは、ピットにいるほぼ全員が手を横に振っていた。
スタンドでもある程度同様の光景が繰り広げられているようだった。
そして海外ライブでは満を持して、2人による“ よん! よん! ”煽りが初めて披露された。
Left side、Right sideと言って2人が観客たちを煽り、みながそれに応えて叫び声を上げる。
そして2人は花道へと進路を変え、そこでも満員の観客たちを楽しげに煽ったのだった。
可愛らしい2人に煽られ騒ぐ行為は、今回も国境の壁を問題とはしなかったのだった。

 

 

 

2人が小さな舞台の下に消えると、バックのセンタービジョンに翼の絵が映し出された。
やがてその中央に、神秘的な雰囲気で佇むSU-METALの姿が確認された。
そして彼女が力強く新曲「Amore – 蒼星 -」を唄い始めた。
僕は微動にせず、ただ刮目して、SU-METALの澄んだ歌声に聴き入った。

 

ふと既視感を覚えたのはその時だった。
僕は眉根を寄せ、記憶の糸を辿る。
今見ている絵を、過去に確かに見た記憶があった。
やがて思い当たったのは、まだ幼き頃のSU-METAL、いや中元すず香の姿だった。

 

可憐Girl’sの頃に披露した「MY WINGS」の絵が脳内で一致した。
少女が大人へ成長していく過程が、頭の中で勝手に思い描かれた。
その瞬間、僕は言いようのない感激に浸り、顔をくしゃくしゃにして唇を噛んだ。
胸がいっぱいになり、抱いた思いを口にするのは困難な状況だった。
だから「MY WINGS」の歌詞を引用することで、その時の心境を吐露させていただくことにする。

 

 

 

世界を救う「翼」
今 私が選んだ道
幻想(ゆめ)を掴みたい だけど(止まらない)
与えられたチカラが
天空(そら)へ駆け立てるよ
強く 凛々しく 羽ばたいて
絶対可憐 my wings

 

 

 

ものすごい勢いで噴出する白煙が彼女のオンステージをより豪勢にする。
どうにも感情を抑えることができない状況だった。
僕はひたすら泣き出さないように注意を払いながらSU-METALの歌唱を聴いていた。
間奏のベースソロではBOH神が高速タッピングを披露し、観衆から称賛の歓声と拍手を浴びた。
美しく、躍動的なギターソロに続き、SU-METALが再び渾身の歌声を披露する。
リズムが次第に激しさを増す中、SU-METALが強烈な張りのある声で唄い上げていく。

 

彼女の歌声を初めて聴いた時の感想を、僕は、昨年2月のエントリーでこんな風に記している。
“衝撃度は、声質は違うがマライア・キャリーの「Emotions」を初めて聴いた時のそれに近く、
それでいて今は亡きカレン・カーペンターの歌声を聴いた後の心地良さも感じるのである”
今にして思えば、前者は少し筋ちがいな感があるが、後者に関しては今なお感ずるところである。

 

SU-METALの歌声を聴きながら、僕は、常々抱え込んでいる小さな疑問を掘り起こす。
カレン・カーペンターのアルト音域での発音の良さ、倍音成分からくる心地良さを、
SU-METALの歌唱からも確かに受けているように感じるのはなぜなのだろう……。
――アルト音域? 本当に?
ハッとした。僕は目を見開き、息を呑んだ。
頭の中を、主旋律を唄うSU-METALの美声が軽やかに流れていく。

 

張りがあり、突き抜けていく高音域にばかり、僕は心酔していただけなのだろうか……。
まるで空中に一定間隔で浮遊している見えない音叉によって振り幅が増大しているように思える、
彼女のハイトーンからくる共鳴、響きのみに僕は心地良い気味合いを見い出していたのだろうか。
否、それだけではなかったのだ、と僕は首を横に振る。
凡庸ゆえ、単純に留意点が足りていなかっただけなのだろう。
「ギミチョコ!!」「いいね!」「ヤバッ!」「あわだまフィーバー」、さらには
「ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト」「ド・キ・ド・キ☆モーニング」といった数多の曲で、
SU-METALは随分と可愛らしい声で楽しげに唄っている。
だからだろう、彼女が唄うアルト音域を、ほとんど意に留めていなかった。
僕は、あまりに特徴的な彼女のソプラノ音域ばかりに焦点をあて過ぎていた。
SU-METALの豊かで厚みのある低音域の地声もまた、直接脳に届くような心地良い響きがある。

 

そういえば、嘘か真か、カレン・カーペンターにはこんな逸話がある。
あるライブの日、彼女は、本番直前まで楽屋で寝ていて、
起こされるとすぐにステージに立ち、寝起きであるのにあの声で歌えたのだという。
そのことも、SU-METALに彼女の面影を意識的に重ねてしまう一因になっているのかもしれない。
まだ小学生であった可憐Girl’s時代、ライブを行う埼玉スーパーアリーナの楽屋で、
本番1時間前まで中元すず香が爆睡していた話はメイトの間ではあまりに有名な話である。
ともかく、もはや彼女の歌声はそれだけで“芸術”であるように思えるから、
特にライブ中は、嗜好品を嗜むかのように、素直に酔いしれるだけで十分なのだろう。
フレーズを大事にした息継ぎ、フラットであっても抜けるような歌い方も等しく愛でる。
結局のところ、心から音楽を楽しむには、個々の感性で受け止めることが一番重要なのであろう。

 

やがてこの曲のハイライトが訪れた。
それは今日のライブに合わせた、劇的な演出だった。
演奏が止み、ステージの中央でSU-METALが膝から崩れ落ちた。
その直後、会場の至る所から、この演出に対する大きな歓声と拍手が沸き起こった。
それは自分たちのヒロインを鼓舞する、震えるほどの歓天喜地の大喝采にほかならなかった。

 

起き上がったSU-METALがライトを浴びてまっすぐに再び唄い始める
その姿はあまりにも神々しかった。
だからもう涙を我慢することは無理だった。
僕はそこから曲が終わるまで、涙に咽びながら彼女のステージを心に刻みつけたのだった。

 

そこまで深く心酔したからなのかもしれない。
続いて「メギツネ」が始まっても、すぐに僕の体は反応を示さなかった。
おそらくは体力の限界が近づいてきていたのもその理由だろう。
長時間のフライトによる疲れと睡眠不足が一気に体にダメージを与えている感覚があった。

 

だけど僕はグッと歯を食いしばると、やがてビートに合わせてヘドバンを繰り出した。
今日のライブは、一生で一度しかない、記念すべきライブなのだ。
だから一瞬たりとも気を緩めるわけにはいかなかった。
僕はブレイクダウンのシーンもしっかり目に焼きつける。
大変な盛り上がりを見せた「メギツネ」がやがて終わりを迎える。
しかし次曲ではそれを上回る熱狂が生み出されたのだった。

 

地鳴りが次第に大きくなってきたと思ったらいきなりドーンと直下型地震が襲ってきたような、
思わず体がグッと沈み込んでしまう、リフがずしりと重い「KARATE」が始まる。
秀逸なギターリフに乗ってYUIMETALとMOAMETAが「セイヤ、ソイヤ」と声をあげる。
1巡目Bメロ以降のギターの刻み音はいつ聴いても体がゾクゾクと反応してしまう。
そしてそこからサビへ向かう展開は、有無を言わさずに高揚感をじわじわと高めていき、
SU-METALが“ ひたすら ”と唄い出せば瞬時に最高潮へと達し、その後は開放感に酔いしれる。
歌唱の概念の神髄を目の当たりしたように思い、まるで悟りを開いたかのように放心して眺める。
楽曲がヘビーであればヘビーであるほどSU-METALの張りのあるクリアボイスは弥増しに際立つ。

 

鞭を打つかのような、強弱あるドラムのリズム。
ギターの残響音が重厚な重低音リフを生み出していく。

 

2ndアルバムから先行配信されたこの曲は、MVも含め、この1ヵ月の間に何百回と繰り返し聴いた。
シンプルな構成という第一印象であっても、聴けば聴くほどにギターリフは重くなり、
ゴリゴリなメタルサウンドに頭はゆらゆらと揺れ、感性は深く沈み込んでいった。
アレンジが巧妙で精良であることに感嘆し、唸り、どうにも嗟歎の声を上げずにはいられない。
もはやDIVAであるSU-METALの歌声を無視することはこの上なく不可能に近いことだけど、
よりトラックに意識を持っていけば、それだけでも十二分に楽しむことができたのだった。

 

しかしいくら出色の音源だとしても、ことBABYMETALに関しては、生のライブに勝るものはない。
歌とダンスと音楽を耳目しながら堪能する時間は、嗚呼、まことに至福のひとときなのである。

 

まるで厳かな儀式の進行を見守るような心持ちで、僕は括目して間奏のシーンを見つめる。
3人が起き上がり、扇動するように拳を突き上げれば、観客たちは遵従にその行為を繰り返す。
スタジオ音源ではセーブされているSU-METALの歌声が豪儀に満ちてさらに解き放たれていく。
情感溢れる彼女の歌唱に魅了される中、脳内を浄めるように、美しいコーラスのハモリが響く。
空手の型を取り入れた切れ味鋭いダンスルーティンは劇的かつ絢爛華麗で目を見張るものがあり、
グルーヴ感によって衝き動かされそうになる観衆の情動をおのずと抑え込んでいるように窺える。
満座の興味を一身に集める、まるで音波の正拳突きと化した麗しき最後のロングトーンは、
いみじくも観客たちの正中線を突き抜けては瞬く間に虜にしてどこまでも果てしなく伸びていく。
エモーショナルな演奏、歌唱、表現、雰囲気に惹き込まれ、自然と熱いものが込み上げてくる。
アウトロで繰り返されるコーラスはカタルシスを喚起し、聴く者の心に深い哀愁の情を落とす。
音がスッと消え、闇に潜んでいた静寂が、辺りを包み込もうかやめておこうかと躊躇っている刹那、
至る所から沸き上がった怒号のような大歓声が大きなうねりとなってフロア中を揺るがしていった。
うっとりと余韻に浸っていたがために生じた、半テンポ遅れの拍手喝采の嵐であった。

 

1ヵ月も前に先行配信されているだけあって、聴き込んでいる人たちも多かったのだろう。
そして初めて生で観れるこの日を、明けても暮れても、日々、心待ちにしていたのだろう。
とりわけ曲の始まりと終わった直後は大変な盛況ぶりだった。
周りのキツネアーミーたちはしみじみとした表情で各々悦に入っている。

 

リズムに合わせてヘドバンすることはあっても、やはり、「KARATE」はモッシュする曲ではない。
五感を研ぎ澄まし、魂で共鳴し、みなで共感する曲であるんだと思う。
だからこの曲は、奇麗に揃ったYUIMETALとMOAMETALのダンスやコーラス、愛嬌ある掛け声、
心を奮い立たせるストレートな歌詞も相まって、全体を通し、身震いしながら陶酔してしまう。
もちろん一本筋の通ったSU-METALのヴォーカルがそれらの中心にある。
ヘビーさ、カッコよさ、メリハリの利いた素晴らしい楽曲の組み立てに関しては論をまたない。

 

僕は曲が終わっても幾ばくか心地良い余韻に浸り続けた。
だけど「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のムービーがビジョンに映し出されると、
いつまでも余韻に浸っているわけにはいかなくなった。
ふと振り返れば、すでにそこにはサークルが出来上がっていたのだった。

 

SU-METALの咆哮に合わせ、眼前で激しい Wall of Death が繰り広げられる。
僕も遅れてそれに参加し、大勢のキツネたちとともに喜びを分かち合う。
壮大なギターの旋律に頭の芯が次第に痺れていく。
いつだって「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の独特の盛り上がりは観客たちの熱狂をさらに昇華させる。

 

サークルモッシュはほとんど終始続いていたが、早々に息が上がった僕は、
おもむろにその輪から外れると、ステージ上を食い入るようにして眺めた。
パイロの演出に、3人のパフォーマンスも次第に熱を帯びていった。
疲れを見せ始めた観客たちも、その3人に引っ張られるように声を振り絞っている

 

3人も公言しているとおり、やはりBABYMETALのライブは戦いである。
彼女たちが戦い続けているうちは、先にこちらが戦意を喪失するわけにはいかなかった。
僕もなんとか最後のダメジャンプは飛び、彼女たちの頑張りに些細ながら応える。
ここまでノンストップで披露された曲は実に14を数える。
彼女たち3人の体力、熱意、意気込み、気概には頭が下がる思いだった。
しかし彼女たちの戦いはまだ終わりを告げているわけではなかったのだった。

 

続けざまに、彼女たちのキラーチューンの「ギミチョコ!!」が始まった。
ピットは息を吹き返し、その癖になる独特のリフに誰もが体を大きく揺らし始める。
やはりいつだって「ギミチョコ!!」の破壊力はすさまじいものがある。
観客たちは、たった今ライブが始まったといった風に、所狭しと躍動しているのだった。

 

後方では激しいモッシュがひっきりなしに起こっていた。
僕はさすがにそれには参加せず、ただ驚愕の思いで見入っていた。
いったい君たちはどこまで体力があるの? そんな具合に。
途中のコール&レスポンスでは、3人がさらに観客たちを煽っていった。
“ カモン、ウェンブリーアリーナ! ” “ アイキャントヒアユー! ” “ メイクサムノイズ! ”
それぞれの、歓びに満ちた可愛らしい声がホールにこだまする。
熱狂は終始薄れることなく、やがて「ギミチョコ!!」の甘い嵐は過ぎ去っていった。

 

少しのインターバルを挟んだのち、ビジョンには、BABYMETALのこれまでの軌跡が映し出された。
2014年のSonisphere Festival、The Forum、O2 Academy Brixton。
2015年のKERRANG! AWARDS、GOLDEN GODS AWARD、Reading and Leeds Festivals。
それらは過去のイギリスでの活動に関するものだった。
その一つ一つがクローズアップされるたびに観客たちは熱い声援を送っていたのだった。

 

続けざまに、THE ONEのムービーが流れ始める。
その曲の始まりに歓喜する観客たち。
一聴して名演奏とわかる、ツインギターの奏でるメロディが聞こえてくると、
僕はすぐさまうっとりとして、えも言われないその美しい旋律のループに酔いしれる。
そしてSU-METALがひとたび“ No reason why ”と唄い出せば、嗚呼、気分はもう夢見心地。
彼女が一語一語を繊細に力強く唄っていくごとに僕は徐々に心を奪われて骨抜きにされていった。
バックトラックで流れている、邪悪なものをすべて浄化させるような清らかなピアノの調べは、
まるで絶世のプリマドンナを神秘的に召喚しているようにも感じられた。

 

プログレッシブ・メタルの特徴の一つである“ 長い尺の曲 ”に模倣したようで、
元々は「Tales of The Destinies」と合わせて12分超の1つの組曲であった「THE ONE」。
この曲は「Tales of The Destinies」で作ったリフから膨らませた楽曲で、Dream Theater風の
フレーズやリフをふんだんに作って入れていったと、作曲・編曲を担ったMish-Moshは語っている。
そして2つの曲に切り分けるにあたり、随分とアレンジには時間がかかったようだけど、
技巧的で複雑に構成され、転調もあり、芸術性に富んだ素晴らしい作品となっている。
またこの曲は、成長を遂げたYUIMETALとMOAMETALのコーラスも大変趣深いのだけれど、
しかし何より、成熟したSU-METALの歌唱の魅力を心ゆくまで満喫するためのものであろう。
ヴォーカリストとしての彼女の現時点での極致を存分に堪能することができる名曲だと言える。

 

だからなんだと思う。
今回は- English ver. -という理由もあったのかもしれないけれど、
僕同様、周りのキツネたちもこの曲はじっくりと聴いていたいようで、
ほとんど微動だにせずにステージのSU-METALをじっと凝視したまま聴き入っているようだった。
そしてじわじわと彼らの体が動き始めたのは、それも僕同様、Bメロに入ってからだった。
ドラムのリズムに合わせるように、次第に彼らの肩の揺れは大きくなっていったのだった。

 

“ Looking for our hope Looking for our dream ”とSU-METALが唄う
魅惑的で、甘美な旋律を情感たっぷりに唄い上げるDIVAからは一時も目を離せない。
“ This is our song This is our dream ”とSU-METALが声を張る。
盛り上がっていく曲調も相まり、頭の芯は痺れ、神経は限りなく昂ぶっていった。
尚もSU-METALが壮大さを孕んで“ We are THE ONE ”と力強く唄い上げていく。
叙情的なギターリフと絡み合って一体化したステージは極上のオペラといった体を成している。
“ You are the only one”と響くクリスタルボイスの軽やかさはまるでカシミアの羽毛のよう。
ホールに強烈に響く彼女の歌声に惹きつけられ、問答無用に地蔵と化していた多くの観客たちは、
魔法の効力を担う歌が途切れた途端、堰を切って出た拍手や歓声で彼女に多大なる賛辞を送った。

 

そんな中、僕はまったく微動だにせずに、ただ集中してステージを見つめていた。
SU-METALがふたたびAメロの英語歌詞を唄い始めてもそれは変わることはなかった。
つまるところ、僕にとっては、この「THE ONE」自体が魔法であった。
初披露された日から今日に至るまで、僕の潜在意識の中では常にこの曲のメロディが流れていた。

 

思うに、優しいピアノの旋律が、オルゴールの音色を想起させるのも原因なのかもしれない。
ふとした時に、頭の中で、“ ララララ~ ”のメロディが流れていることがしばしあった。
SU-METALの歌声を聴きながら僕は涙を浮かべ、遠い微かな記憶に思いを馳せていく。
物心がつく前に聴いた、母親が唄う子守歌による心地良さを、僕は無意識に呼び起こしている。

 

“ Tell me why ”と声を張るSU-METALの歌声に、自制心の扉がひざを折って開放されていく。
そこにツインギターの美しい音色が流れ込んで来たらもう、ほとんど身も心も任せるほかない。
転調によってギターの旋律が雄弁な人のように勇ましくなると、造作なく気分は上昇気流に乗り、
まるでオーケストラの指揮を取るように、僕は見えない指揮棒で空中に何度も弧を描いた。
溜めては解き放つドラムのリズムに脳は反応し、最高の気分で、SU-METALの歌声を再歓迎する。
彼女が英語で力強く唄った後に続くのは、YUIMETALとMOAMETAの繊細で美しいコーラス
SU-METALの歌声、それとそれに続く2人のコーラスに、僕は息を呑んで心底聴き惚れる。

 

沖融たる余韻に浸る中、SU-METALが力強く再び唄い出せば、その後は怒涛のクライマックスへ。
“This is our song This is our dream Please take us to the land of dreams Faraway”
脳がギュッギュッギュッギュィーンと音色とリンクし、ここまでで一番の陶酔感に襲われる。
頭の中で何かが弾け、快楽が畳みかけてきて絶頂となり、意識が飛びそうになるが何とか堪える。
ドラマチックな曲展開に背筋は震え、鳥肌が立ち、昂ぶった熱情は、遂に今宵の最高潮を迎える。
“ ララララ~ ”の大合唱がひときわ大きな感動を呼び起こしている。
後に続くギターの旋律がそれをより劇的なものに変えていく。
“ We are THE ONE ”とフレーズが繰り返されるたびに観客たちの熱量が大きくなっていく。
武道館のセットを彷彿させるように、やがてセンターステージがゆっくりと回転を始める。
“ ララララ~ ”の大合唱で文字どおり会場が一つになっていく。
3人の唱歌が作る美しい世界に陶酔することは、言うなれば唯美、または耽美か。
“ ラララ ”と繰り返されるコーラスは、3人への信仰を励ます、まるで賛美歌。
日本のLV会場を結んだ映像が熱狂に拍車をかける。
決壊したダムから溢れ出す洪水のように、感動が強烈な勢いでドッと胸中に押し迫ってくる。
感慨無量だった。
僕はギュッと唇を噛み締める。
自然と零れ出るくる涙は止めることを知らない。
ここまでの今夜の体験は総じて、まるで桃源郷の境地であったように思う。
独特で他に類を見ない世界観で行われるBABYMETAのライブ会場でショーを観ることは、
どこにも存在しない理想郷である“ ユートピア ”に足を踏み入れた感覚と同じなのかもしれない。
そんな風に取ってしまうほど、今僕がいるこの世界は、想像を超えた異空間での狂宴と化している。
果たしてライブの本編は、“ THE ONE ”がものの見事に具現化されて大盛況ののちに幕を閉じた。
彼女たちへの称賛の念を表す拍手や歓声は、暫時、止める術を思い出すことはなかったのだった。

 

僕は大きく息を吐き出すと、両膝に両手をついた。
あまりにも感動しすぎて、立っているのもままならない状態だったからである。
周りではアンコールが、間隔を置いて何度か沸き起こっていた。
そしてしばらくすると、「Road of Resistance」の冒頭ムービーが流れ始めた。
だけどそれは“ Road of Metal Resistance ”と変えられた新しいムービーであった。

 

そのムービーが流れ始めると、既に勝手を知っている周りのキツネアーミーたちは、
仕草のみで周囲の人々に要請の圧をかけながら Wall of Death の準備に入った。
映像は何度も観ているはずだから、この後に起こる愉しいことが予測できているのだろう。
初参戦らしき人たちも、ムービーの内容に聴従し、瞳を輝かせながら成り行きを見守っている。
拡大していくサークルの輪に比例してみなのテンションが次第に上がっていくのが見て取れる。
ホールに響くせいか、音響が、吹きすさぶ木枯らしのように、鼓膜に応えるような気さえする。

 

「More Than a Feeling」のように美しい、壮大なギターオーケストレーションのに合わせ、
気高い雰囲気を身に纏った3人が、旗を手にして「美」と「凛」と「勇」を示しながら歩いてくる。
戦意を高揚させる法螺貝の音が響く中、SU-METALがそれを煽るポーズをすれば、
観客たちは息を呑み、合戦の準備――即ち Wall of Death の所作に入る。
SU-METALが、キリリとした表情のまま踵を返し、颯爽とステージ中央へ戻って行く。
ピット全体に、みなの抑えがたい興奮が、熱い吐息となって休みなく溢れていく。
カウントを合図に、それこそ合戦の如く、先陣を切って勇猛果敢に駆け出していく異国の猛者たち。
ギターの高速リフとドラムのブラストビートに触発されたのか奇声を発する者もいる。
Wall of Deathに参加している人たちも、周りで見守っている人たちも、誰しもが白い歯を見せて、
周囲の人たちと一緒くたになってBABYMETALのライブを心底満喫している。
そういった彼らの楽しげな光景を眺めていると、僕はまた感慨無量の心境に陥っていったのだった。

 

約1年半前、BABYMETALの今後のビジョンをいち早く示したアンセム「Road of Resistance」。
それから、彼女たちは、手綱を一切緩めることなく道なき道を疾走してきた。
そして今日を迎え、繰り返しムービーで提示されてきた意義は、異国でも完璧に具現化された。
「All for ONE」「ONE for All」「We are the ONE」
他人を気遣ったモッシュッシュという稀有な現象は、ここ英国の地でもすっかり根付いている。

 

“ 東の空を ”とSU-METALが唄い出せば、観客たちは一斉に耳を傾ける。
繰り出される怒涛のビートにノって誰もが熱狂的に激しく体を動かしている。
曲調もさることながら、ピットの盛り上がりもまさにノンストップ。
Wall of Deathの流れで派生したサークルモッシュは視界の端で未だに続いている。
“ Is the time! ”の後に叫ぶ者もいれば、それに合わせてジャンプする者もいる。
SU-METALが“ さあ、時は来た ”と力強く声を張ると、歌詞を理解した上で呼応しているのか、
はたまた高揚を誘うギターの旋律に反応を示しているのかはわからないけど、いずれにせよ、
周りのキツネたちは、さらに躍動して会場全体の熱気を一段階高めることに成功したのだった。
演者の呼吸と観客の呼吸が見事に落ち合った、まさに完全無欠のライブといった様相を呈している。

 

僕は爪先立ちをして首を伸ばし、見渡せる可能な範囲に視線を走らせた。
フロア中が異様なほどの盛り上がりを見せている。
スタンドの観客たちも多くが拳を突き上げている。
これぞまさしくロックコンサートといった体だった。
それがロックの本場の地で本当に起こっているのだから抱く感慨もひとしおだった。
僕は、狂ったビートと熱狂に触発され、どうにもヘドバンを繰り返さずにはいられなくなった。
バスドラの猛攻撃を受け、“ Forever! ”とリピートしながらさらに頭を振る。
間奏に入ると、脳内でドーパミンが過剰に分泌されるのをはっきりと自覚した。
心地よい悦楽に浸り、意識が半分飛んだ状態となっても、構わずに頭はガンガン振り続ける。
大いなる愉悦を覚える中、扨もさても、やはりそこだけは絶対に外せない。
待ちに待ったギターソロが始まると、僕は、サークルピットの真ん中で派手にエアギターをかます。
そこが最高なんだ!
思わず昇天しそうになるほどの快楽が脳内を所狭しと満たしていく。
ふと気が付けば、周りでは、空気を震わせるほどのsing-alongの大合唱が始まっていた。
その光景は、テルモピュライの戦いで、ペルシア軍に勝利した筋骨隆々のスパルタの兵士たちが、
興奮のあまり体をぶつけ合いながら高らかに勝ち鬨を上げているように見えなくもなかった。

 

恍惚の境地のまま、僕も遅れてsing-alongに参加する。
心なしか、日本のライブでのそれよりも声が太く感じられる。チャントの本場だからだろうか。
腹の底から“ Woh woh woh woh ”と声を出し、しばしサークルモッシュに興じる。
再び間奏に入ると、テクニカルなギターソロが観客を大いに魅了していく。
そしてSU-METALが“ 命が ”と唄い出した後の展開からは一時も目が離せない。
巨大な空間を支配する彼女の強力な歌声がアリーナ中に響き渡っていく。
小さな背中のMOAMETALとYUIMETALが大きく映えるダンスで魅せる。
“ そう、僕らの未来 ”の直後、体の奥から熱い塊が急速にせり上がってくると、僕はもう、
“ Ahhhhh! ”と一緒に叫ばずにはいられない衝動に駆られ、早くも拳を目一杯突き上げる。
“ Resistance! ”のフレーズが2射連続で脳天を打ち抜き、その都度、快感に酔う。
SU-METALが渾身のシャウトをかまし、“ Justice forever! ”と声を張れば、
どうしようもなく今回もそこで感極まって、僕は歯を食いしばり、熱涙に咽ぶほかなかった。
“ 君が信じるなら 進め 答えはここにある ”
一点の曇りもないSU-METALの澄んだ声が脳内で響く。
顔はくしゃくしゃになり、熱い涙が止めどなく頬を伝う。
“ 僕らの Resistance ”とフィナーレを迎えても、盛り上がりはその後も続いていく。
SU-METALが満面の笑みを浮かべて、後方2階に設置されている銅鑼を指差す。
3人が踊るように階段を駆け上がっていく。
僕はその光景を泣き笑いの表情で見守る。
そしてFOX signを掲げさせ、SU-METALが“ Ahh! ”とシャウトすれば、
観客たちは夢現を分かたぬ気色で歓喜の声を上げ、会場は今日一番の盛り上がりを見せた。
銅鑼の音が掻き消されるほどの花火の爆発音が鳴り、歓声はさらにヒートアップしていった。
曲が終わっても、余韻が枷となり、僕は突き上げた両手をすぐに下げることができなかった。
こうして彼女たちの伝説となるライブは、想像以上の大盛況ののちに幕を閉じたのだった。

 

震えるほどの感動を胸に、僕は改めて思う。
元々BABYMETALの楽曲の中でも異彩を放っている、最後まで息つく暇もなくノリまくる曲だけど、
やはりライブでの「Road of Resistance」のスピード感、狂気、熱量はひときわ傑出している。
パーフェクトなまでに完結する楽曲構成も見事。素晴らしいの一言に尽きる。
ヘビーで心地よいビートに頭を揺らし、多くの観客たちと一緒になって笑顔で楽しくモッシュする。
轟音の中を突き抜けていく歌声に心酔し、高速なのに華麗なメタルダンスに魅了され続ける。
そしてみんなで一斉に大声でsing-alongするパートもある。
これ以上いったい何を望むと言うのだろう。
これだけ複合的に楽しめる要素が満載な楽曲はそうそうない。
今年のワールドツアーの各会場でも、この曲が場内の空気を一変させていくことは間違いない。

 

ステージの照明が点いても、周りのキツネたちが少しずつ移動を始めても、
僕は半ば放心状態でその場にずっと立ち尽くしていた。
実際に目にしたはずなのに、気分が極限まで高揚しているから夢を見ていたような錯覚を抱く。
BABYMETALのライブを観た後に必ず陥る、夢見心地の心境となっていた。
しかしすぐに自意識が「おい、気を保て」と、前後不覚になりつつある僕をすぐさま叱責した。
「おまえが観たものは夢じゃない。現実だ。今夜のことは永遠に忘れるんじゃないぞ」。

 

僕はカッと目を見開き、フーッ、フーッと続けて大きく息を吐き出す。
そして少しだけ移動し、最後に会場をぐるりと眺め、ここにいた記憶を脳に留める。
それから、今度は逆に、たった今終わったばかりのライブの記憶をひも解いていった。
いろいろな感情がない交ぜになって胸中に押し寄せてくる。
しばらくして口をついて出た言葉は「すごいものを観た」だった。
彼女たちのライブを端的に表すと、結局はその直感的な主観にいつもまとめられる。
言いたいことは山の数ほどあるというのに。

 

放心の余韻が薄れたところで僕は出口に向かって歩き始める。
間近の記憶が、“ THE ONE ”の光景が、鮮明に脳裏に浮かび上がる。
KOBAMETALのインタビュー記事がふと思い出されたのはその時だった。
「会場を一つにすることがいかに難しくて、それをできるアーティストはとても限られてる。
コンサート会場でみんなが一つになる瞬間にはものすごいエネルギーが生まれる。
いつかBABYMETALでもそういうことが出来るような曲をつくりたい」
彼の願望は、今宵、最高の形となって達成され、会場は凄まじいエネルギーに満ちていた。
言うまでもなくそれを生んだのはフロントの3人と背後で伴奏する4人の神たち、それにスタッフ、
そして、7人の演者の熱演に最大限に呼応した、献身的で素晴らしいファンたちの熱意であった。

 

アリーナを出る。
人々の騒がしいが館内に響いている。
人の波に飲まれつつ、僕はゆっくりと出口に向かって通路を進む。
気持ちが次第に落ち着きを取り戻し、思考が少しずつ冷静な分析を始めようとする。
昨年末の横アリでのライブはBABYMETALの明るい未来を垣間見た素晴らしい内容だったけれど、
それに勝るとも劣らず、今宵のライブも講釈の垂れようのない完璧で大盛況なショーであった。
胸一杯に押し寄せているこの感動の波は、1週間やそこらではまず引いていくことはないだろう。

 

メタルでもポップでもないBABYMETALがBABYMETALである証、そのアイデンティティともいえる、
スリリングで漫画のようなスペクタクル、気どりのない若返りのエネルギー、
シニカルではない楽しさは、ここ異国の地、ウェンブリー・アリーナにも確かにあった。
そしてそういった要素は、彼女たちが幅広い客層に受け入れられている理由を明確に示している。
まるで何かに憑りつかれたかのように、誰もが一心不乱にショーを愉しむことに没頭していた。
ピットは終始狂乱状態で、言語の壁は今回も彼らの情熱を押さえ込むことは出来なかった。

 

メイトたちの期待、初見の人たちの予想を遥かに超えるパフォーマンスを見せ続けてきたことで、
BABYMETALはこれまでに次々と伝説を残してきたのだけれど、今宵のライブでは、
フロントの3人、4人の神、そしてステージに携わったチームBABYMETAL全員から、
「伝説を残すんだ」という気概をひしひしと感じ取った、熱くて感動的なライブであった。
日本人のアクトとしては初となるウェンブリー・アリーナでの単独公演ということで
相当なプレッシャーはあったのだろうが、それを力に変えて克服し、すべてを出してやりきった。
3人の最後の清々しい表情、嬉々とした挨拶の雰囲気には、それが顕著に滲み出ていた。

 

ライブ後も感慨無量の境地に陥ったが、それは、ステージにいた7人も同じだったのだと思う。
チームBABYMETALを称賛するスタンディングオベーションはしばらく止むことはなかった。
あれだけのステージパフォーマンスを見せられれば、誰もが感動し、感嘆するほかない。

 

僕は悦に入ったまま、ぼんやりと通路を進んでいく。
新しい数多の記憶の断片が、何かに弾き出されたかのように次々に高速で脳裏を駆け巡っていく。
はたと意識が現実に向いたのは、前方にいる見覚えのある黒髪に、ふと目が留まったからであった。
如何せん、この地にあっては黒髪の方がより目立つ。
如何せん、冷静でいようとするが否応なく浮足立つ。
心拍数が早くなっていくのを自覚しながら、僕は、近くにまで寄っていってから確かめてみる。
況や、案の定彼女だった。
ライブの開演直後に号泣していた、大きな目をした、あの長い黒髪の異国の女性だった。

 

僕はさりげなく立ち止まると、横目でちらちらと彼女を観察した。
年齢は二十歳くらいだろうか。
顔の輪郭は細く、目鼻立ちが整い、唇は少し厚みがある――いわゆる美人の類いの女性だった。
彼女は、あの時の泣き顔が嘘であったのかと思えるほど、屈託のない、満面の笑みを見せて、
ブロンドヘアーの青い目をした友人らしき女性と何やら楽しげに会話をしていた。
僕は口元に微笑を湛え、記憶を一辰刻前に戻す。

 

彼女が号泣している様を見て、思わずもらい泣きをしそうになるほどに、
僕の感情は、自分ではコントロールができないくらいに激しく揺れ動いた。
だけどそれは、彼女に感情移入したことが原因のすべてではなかったのだと、たった今わかった。
思い起こせば、彼女の泣き顔は、アン・ハサウェイのそれよりも美しかった。
それも僕の心をひどく動揺させた要因になっていたに違いなかった。

 

あの時に少しばかり抱いた、後悔の念が、慎みと一緒になってじわじわと沸き起こってくる。
女性が泣いている時にそっと手渡す。それこそが、ハンカチを持ち歩く最大の理由である。
だけど残念ながら、僕はそのハンカチを携帯してはいなかった。
しかし、仮にハンカチを携帯していたとしても、果たして、
僕がそんな紳士的な振る舞いを咄嗟に起こしていたかどうかは甚だ疑わしいところである。
だから九割方、僕は、彼女に変な気遣いをさせたくないという言い訳を盾に、
見て見ぬ振りをすることがベストの選択であると頑なに自分に言い聞かせ、
ハンカチをポケットの中から取り出す素振りすらしなかったことだろう。
本当に? ――おそらくは。
そもそも自分に甲斐性がないことは自分が一番よく知っている。
間違いなく緊張して、ほんの少しの勇気すら奮い起こそうとはしないに決まっている。
だとしても――。

 

スッと視線を落とすと、僕は小さく首を振った。
それから、微笑を含んだ彼女の大きな瞳を横から少しばかり眺めたあと、
それとなく微酔を帯びたような心持ちで出口に向かって歩き出した。
あまりにも野暮な逡巡だった。
ハンカチのことはもう忘れよう。
泣き顔よりも笑顔の方が彼女は断然に美しいのだから。

 

その後、出口付近で、なんとかバウチャーのTシャツの交換だけはできた。
それから会場を出ると、僕はすぐに既視感を覚えた。
日本でお馴染みの光景がウェンブリー・アリーナの外でも繰り広げられていた。
気分が高揚したままだから、誰ともなく今夜のライブについて話がしたいのだろう。
会場の外では、至る所で、キツネたちが目を輝かせて友人たちと語り合っていた。

 

そんな多幸感に包まれているキツネたちを眺めていると、僕も過度の幸福感を抱いた。
今夜のBABYMETALのアリーナショーの成功は、今、目の前にいる彼らたち、
おそらく各々の人生において一番長い時間並んだであろうキツネたちによって導かれたものだ。
しかしそれは、いかに日本語の歌詞を受け入れているか、
いかにメタルの真新しいスタイルを受け入れているか、
いかにBABYMETALに愛情を注いでいるかを示した結果が顕在化したに過ぎなかった。
だけど彼らが示したその答えが、長い間、どの日本人アーティストも成し得なかった、
ウェンブリー・アリーナでの単独コンサート開催という歴史の灯をともさせたのだ。
随分と長い道のりだったけれど、BABYMETALは、万を超す彼らの引き立てによって、
日本のロック史、いや音楽史に、燦然と輝く金字塔を打ち立てることができた。
彼らがいなければBABYMETALがウェンブリー・アリーナでライブを開催することは叶わなかった。
そして彼らが見せてくれたその光景こそが、今回、僕が心底見たいと願っていた景色であった。

 

僕は軽やかな足取りで駅に向かう。
最寄り駅に着き、帰りの電車を待つ。
周りはキツネたちばかり。かなりの混雑具合だった。
しかし誰一人として顔に不服の色を浮かべている者はいなかった。
体験したことがいかに素晴らしかったか、語らずとも顔に滲み出ていた。
僕は何人かのキツネたちと控えめにキツネサインを交わすことで些細な喜びを分かち合った。

 

電車に揺られながら、僕は今夜のライブを再度回想する。
すぐに思い至ったのは、さらに進化したステージングだった。
それだけ3人の成長ぶりには目を見張るものがあった。
3人のそれぞれの持ち味が成熟していっていることを身を持って体感した。

 

演出面も素晴らしいの一言に尽きた。
これまでに実践したものが幾度となく今夜のステージに反映されていた。
その他にも、紅い月や翼をビジョンに投影し、うまい具合にSU-METALと同化してみせた。
彼女が曲の途中に一旦崩れ落ちる演出もものすごい歓声を引き起こしていた。

 

彼女たちのカリスマ性、ビジュアルの良さ、きれいに揃ったダンスルーティン、
YUIMETALとMOAMETALの掛け声やコーラスに連動するSU-METALのパワフルな歌唱、
そして、神バンドのラウドなのにタイトな演奏パフォーマンスは、
今宵もパイロやレーザー、白煙などの演出効果とうまく溶け合い、
感動的で迫力ある生のサウンドに裏打ちされたBABYMETALのショーを
壮大な劇場型のスペクタクルへと変貌させた。
「BABYMETAL」という独自の音楽スタイルは横浜アリーナですでに確立された感があったが、
今夜のウェンブリー・アリーナでは、それがさらに昇華したステージングであったと断言できる。

 

もし、彼女たちのことを毛嫌いしている誰かが皮肉って、
“ BABYMETAL is not metal”と言ったとしたら、
僕は胸を張って、涼しい顔でこう答えるだろう。
“ You are right. Because BABYMETAL is BABYMETAL ”
やはりBABYMETALはBABYMETALなのである。

 

BABYMETALの構想を練る際、プロデューサーのKOBAMETALが、
「SU-METALの周りを天使が舞ってるような」というイメージで、
YUIMETALとMOAMETALをプロジェクトに参加させたことは既知の事実であるけれど、
2人はすでに、DIVAであるSU-METALと肩を並べるほどの存在感を放ち、
主旋律を歌うSU-METALとの絶妙な絡みは、今夜の複数の曲でも見事に再現されていた。
BLACK BABYMETALによる空間支配力も、披露するラップ同様、随分と様になった印象を受けた。
2人は間違いなく、当初KOBAMETALが想像していた域の遥か上を突き進んでいっている。

 

ただ今夜のライブの音響面に関して言えば、全体的にあまり良くはなかった。
けれどそのことが僕を憂鬱にさせることはなかったし、
もちろん彼女たちのパフォーマンスがそれで劣るといったことはなかった。
毎日音源を聴いたり、小箱でライブを観たりして「音」は十分に堪能してきているから、
こういったアリーナクラスでの会場では、BABYMETALの壮大な世界観によって行われる
熱狂的なショーを肌で感じることができればそれで良しと、そう割り切っている。
だから僕は今回もピットで存分にすべての曲を満喫することができたのだけれど、
もしかしたら今回のライブショーの音響に少なからず不満を抱いた方はいたのかもしれない。

 

ベーカーストリートに着く頃には、疲労は限界に達していた。
日本を飛び立って以来、ほとんど寝ずでの参戦だったので無理もない。
僕はホテルに着くと、シャワーだけはなんとか浴び、その後すぐに眠りについた。
深く心酔した今宵のライブの記憶が心地良い眠りを誘ってくれたのは幸いだった。
おそらくは見ないのだろうが、今夜のライブの夢に身を委ねて再び多幸感に包まれるとしよう。

 

 

 

 

4.

翌日。
チェックアウトするために1階のフロントに向かう。
予約時にカードで決済していたから、手続きは簡単に終わるだろうと踏んでいたのだけれど、
フロントの30歳くらいの女性は、気難しい顔を維持して、モニター画面をジッと眺め続けている。
彼女との距離感をうまく掴めずにいた僕は、手持ち無沙汰を感じて時折足下に視線を落としたり、
フロントの奥の壁に掛かっているウィリアム・ターナーの絵画をぼんやり眺めたりしていたが、
彼女の表情の微妙な変化は見逃さず、眉間の皺がスッと引いていくのと同時に笑みを浮かべると、
彼女の同意を得ようとしていることを彼女に理解してもらうために彼女に視線を送り続けた。
フロントの女性は、僕の視線に気が付くと事務的に「Thank you」と言って微笑を返してくれた。
彼女の頬肉のたるみが完全に落ちてしまわないうちに、僕は小さく会釈をしながら出口に向かった。

 

駅まではゆっくりと歩いた。
雲の切れ間から時折日光が差してくると、陰陽が、西洋建物の景観をより豪壮なものにした。
慌ただしかった昨日以上に、グッと旅をしている実感が沸き起こってくる。
しばらく歩くと、駅周辺にあるシャーロックホームズ博物館が目に留まった。
入場待ちの人たちだろうか、緑の看板の前には思いのほか人だかりができていた。

 

 

 

推理小説「シャーロック・ホームズ」シリーズにおいて、作中のシャーロック・ホームズは、
1884年~1904年までベーカー・ストリート221b番地に住んでいたとされている。
そして1990年1月に、実業家のジョン・アイディアンツがベイカー街239のビルを買収し、
同年5月、この場所こそが221Bであると主張してシャーロックホームズ博物館をオープンさせた。
その年には市議会の決定によってベーカー街221Bを示すブループレートも取り付けられている。

 

当時はヴィクトリア女王の統治の下、イギリス帝国がまさに最盛期を迎えていた時代。
アジアにおけるロシアの膨張に備えることを共同の目的とした日英同盟が締結されたのもこの頃。
そんな100年以上も昔から密接の関係にあった遠い国での、万を超す観衆を集めての単独ライブ。
シャーロックホームズ博物館を眺めながら、僕は改めてBABYMETALについて思考を巡らせる。

 

BABYMETALの音楽スタイルは、多くのサブジャンルを網羅する最高のメタルのミクスチャーで、
ラップ、レゲエ、テクノ、そして勿論ポップといった他ジャンルへの繋がりも探求している。
それは理論上では奇想天外のように思えるが、すべてがうまくカチリと嵌まっている。
たとえジャンルのマッシュアップだと言われても、それが気にならないくらい完成度が高い。

 

3人の声とヘヴィメタルサウンドの組み合わせは、新元素を発見したような化学反応を示した。
それは、思いがけず上手くいった、完全に新鮮で新しいサウンドであった。
基本はメタルとJポップのハイブリッドである、メタルダンスユニットのBABYMETALは、
アイドル文化が定着している日本でしか生まれ得なかった狂気のアイデアであるのだけれど、
BABYMETALと同じくらい整合性のある、表面上は不可能であると思えるものを両立させることを、
今まで世界で誰ひとりとして成し得ることはできなかった。

 

わずか2年前、BABYMETALは、ここイギリスで1回もライブを行ったことがなく、
ヨーロッパのレコードレーベルと契約すらしていない状況であった。
多くの欧米人が当時、短命の斬新なギミックだとして捨て去ったグループは今、
Sonisphere Festivalでは衝撃的なパフォーマンスで懐疑的だった観客たちを熱狂に導き、
Reading and Leeds Festivalsではメタリカのオープニングアクトを見事に務め上げ、
THE SSE ARENA WEMBLEYではヘッドラインショーを行い、会場をキツネたちで一杯にした。
そして来月からは怒涛のスケジュールで今年のワールドツアーを敢行する。
彼女たちの進撃はもう誰にも止められないように思える。

 

このように、突飛で急展開を見せた彼女たちの、未だ現在進行形で続くサクセスストーリーは、
まるで漫画や小説で描かれたフィクションの物語のようにも思える。
「シャーロック・ホームズ」の著者、アーサー・コナン・ドイルは、
スコットランドの医師ジョセフ・ベルをモデルとし、長年に渡り、同シリーズ作品を執筆した。
だからBABYMETALをモデルとした小説なりが、数年後、世に出ることはあるのかもしれない。
もっとも、彼女たちがこれまでに残してきた伝説は既に小説の世界を超えているのだけれど……。

 

――小説? 急に何かが引っ掛かった。
僕は眉を顰め、ヴィクトリアンやジョージアンといった趣のある建築群をぼんやりと眺める。
不意に笑いが込み上げてきたのはそれからすぐのことだった。
「そうだよ、そうなんだよ」と呟きながら僕はゆっくりと目を閉じた。

 

それまで眺めていた、愛すべき西洋の建築群の景色が、うっすらと瞼の裏に映っている。
やがてその景色の中央に、ある人物の自画像が浮かび上がってきた。
ドイルが生きていた時代よりも更に100年前、19世紀初頭のイギリス・ロマン主義の詩人。
ひょっとすると彼は、僕の潜在意識による呼びかけにより、
急いでミント味のタイムマシーンに乗って時空を超えてやって来たのかもしれない。

 

僭越ながら、僕は偏に、彼に「やあ」と声を掛けながら破顔する。
それから、まるで旧友に話しかけるような気軽さで、「まさに君の言ったとおりだよ」と、
この地、ロンドン生まれのジョージ・ゴードン・バイロンに向かって語りかける。
胸がすく思いだった。
「『事実は小説よりも奇なり』。本当にそうだと実感してるよ」

 

妄想の中の彼は、その勇ましい表情を崩すことなく、しばらくするとスーッと消え去っていった。
僕は目を開けると、ひとしきり博物館を眺め、それから、地下鉄のジュビリー線に向かった。
隣駅のセント・ジョンズ・ウッドで降車すると、グローブ・エンド・ロードを直進した。
交差点を右折すれば、すぐそこにそれはあった。
アビーロードで記念撮影を収め、しばし物思いに耽ると、僕は踵を返した。
無邪気に大きく腕を振りながら横断歩道を横切る3人を想起したことは言うまでもないだろう。
車に轢かれそうになりながらもさくら学院のフラッグを持って悠々と練り歩いた御方の姿も然り。

 

再び地下鉄に乗ると、今度はグリーン・パーク駅まで電車に揺られた。
そこで地下鉄を降りると、王室所有のロイヤル・パークの一つであるグリーン・パークに向かった。
帰りのフライトまではまだ時間があるので、しばらくはこの公園でゆっくり過ごすことにする。
バッキンガム宮殿を目指しながら、僕はBABYMETALの楽曲群について思考を巡らせる。
“ ひたすらセイヤソイヤ戦うんだ 拳をもっと 心をもっと”と口ずさみながら。

 

1ヵ月ほど前に2ndアルバムから先行配信された「KARATE」は世界各国で好評を得た。
とりわけイギリスでは何度もラジオで曲が流れ、ニューアルバムの期待値を上げることに成功した。
サビの頭やドロップの一発目、ビートダウンの一発目の気持ち良さを生み出すため、
そこに向かうための展開や、その後に続く開放感が最高になるように音楽をやっていると、
「KARATE」の楽曲製作を一手に担ったゆよゆっぺは過去にそういったツイートをしていたが、
激しい音楽が好きな、彼の音楽的趣向は、もちろん同曲にも色濃く反映されている。
“ サビの一発目の気持ち良さ ”を生み出すため、“ Djent ”を要としているのが分かる。

 

昨日は披露されなかったけど、今でも僕は、“ CAFO ”も少しは参考にしたと思われる、
同氏製作のDjent曲「悪魔の輪舞曲」を聴くと、変拍子を多用した複雑な音や構成の上に、
よくもまあこんな綺麗なメロディ・ラインを立たせられたなあと唸ってしまうのだけれど、
VOCALOUD(ボーカラウド)の確立を担った1人である彼にとっては十八番だったのだろう。
2008年から彼がUPし始めた動画は嚆矢濫觴からしてメタルコア・スクリーモがベースであった。
そんな彼は、「いいね!」に衝撃を受けると、コネもないのにアミューズに自ら売り込んだ。
彼のその勇猛果敢な行為は、のちに、彼の秀逸な才能を世に知らしめることとなった。
「シンコペーション」の編曲、サウンドアレンジを担当したARTEMAのMEG(MEGMETAL)も、
BABYMETALへの参加は一つの夢であり目標だったので、決まった時は嬉しかったと言っていた。
彼ら以外でも、楽曲製作チームに参加したいと願っているクリエイターの数は多いのだろう。
そういった現象もまた、ボーダーレスに活躍するBABYMETALの現在地を示しているように思う。

 

またDjentで、他にはたと思い出されるのが“ Cry My Name From The Light ”という曲。
Djent的にはかなり練度が高く、演奏しているのはFAR EAST DIZAINというバンド。
そう、あのLedaが在籍する、ヴィジュアル系初の本格派Djentバンドである。

 

そのLedaの、BABYMETALへの貢献度の高さについては今さら多くを語る必要はないだろう。
1stアルバムでは2曲、2ndアルバムでも3曲のレコーディングに参加し、
神バンドとしてはLegend“Z”公演から携わって2014年度のワールドツアーにも帯同した。
BABYMETALのライブではDELUHI時代から追いかけてるバンギャの姿を目にすることもあった。

 

そして彼は、Sonisphereでの体験、ステージから眺めた景色によって人生観が変わり、
帰国後は、自らが立ち上げたバンドで海外のフェスのステージに立ちたいという思いに駆られ、
やるからには、やはり日本独自の特徴であるヴィジュアル系しかないという考えを再確認し、
同じ元DELUHIのSujkなどを誘い、さらなる特色を付けるためDjentバンドとしたスタートした。
いつの日か、DIR EN GREYやCrossfaithのように、海外の大きなメタルフェスに呼ばれ、
そこで派手に演奏する彼の勇姿を、一足早く、僕はこのグリーン・パークの空に思い描く。
メイトの間では、Ledaに神バンドに復帰してほしいという声は未だにあるようだけど、
BABYMETALでの活動を通じて世界に触れ、自分の才覚を信じ、新たに飛び立とうとしている。
海外では既に“ Djent ”は最先端というわけではないかもしれないけど応援せずにはいられない。

 

あのSonisphereでの光景、観客を何度も煽り、お立ち台では悠然とギターソロを披露する姿、
さらには、メタリカのステージの端で、「Creeping Death」が演奏されている際に、
子供のような笑顔で“ DIE! DIE! ”と叫んでいた姿は未だ鮮明に記憶に残っている。
あの時の笑顔の裏にあった羨望の思いを、いつの日か自らの力で具現化してほしいと切に願う。

 

僕は上空を流れる雲を目で追う。
イギリスでは珍しい好天。まさに小春日和だった。
時折頬を撫でていくそよ風がとても優しく感じられる。
バッキンガム宮殿全体を眺めることが出来るベンチに僕はゆっくりと腰掛ける。

 

SU-METALの情感溢れる歌い方について、個人的に思うところがある。
それは、彼女がさくら学院時代に、「歌の考古学」の公開授業の中で、
“ 私は曲を色でイメージすることが多い ”といった発言に端を発している。
曲を色でイメージするその現象――ある刺激に対し、通常の感覚だけでなく
異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象は共感覚といわれており、
その共感覚は、無意識的に起こり、感情と関係があり、きわめて印象的なのだそうだ。
空間的なイメージの中で、自分の位置している場所がはっきりと分かるのも特徴だという。
そしてその共感覚の中でも、音楽や音を聴いて色を感じる知覚は「色聴」とされている。

 

SU-METAL本人が、この「色聴」の持ち主であるのかどうかはわからないけれども、
絶対音感を持つ人の中には「色聴」の人がいる割合が高いらしい。
ちなみに「色聴」は共感覚の中でも一番発生率が高いのだそうだ。
色を感じる音にも様々なものがあり、音程、和音、単語、または音楽自体が聴こえることもある。
そして「Piano Man」「Honesty」で有名なビリー・ジョエルもそうであると言われている。

 

もし、1970年代から今に至るまで長い人気を誇っている著名なシンガーソングライターと、
SU-METALが同じ「色聴」の持ち主だとして、様々な律動や旋律によって感じられる色を、
強く心に刻み込み、そして感情の赴くまま、無意識的に歌に込め、
あの光の矢のようにまっすぐで情感溢れる歌声や表現力に多少なりとも影響を及ぼしている、
もしくは源泉となっているのだとしたら、それはもう人知の及ぶところではないのだろう。
彼女のことを崇めたり神聖化するのはさすがに度が過ぎているとは思うけれど、
歌唱やダンス、佇まいから表現力に至るまで、すべてにおいて神懸かっていることは否定できない。

 

その他にも、SU-METALの歌声の発音が極めて良く、あそこまで共鳴させることができて、
聴く者に深くて心地良い陶酔感をもたらす原因は、概ね、喉の状態は母音によって変化させず、
鼻腔で母音を発音し、母音をメインとする歌唱法、即ち、母音が同じ音色、同じポジションで
横につながり、まるで歌うように発音するベルカントをマスターしているからではないか、
といったことを勝手に推測したりするのだけれど、所詮は素人考えの域を出ず、一知半解である。
イタリア語と日本語とは、母音子音はほとんど同じだからそんな風に想像してみたに過ぎない。
そのうち本人による歌唱解説などがあると大変興味深くてありがたいのだけれど……。

 

しかしながら、いくらSU-METALの優れた才能を浅はかな知識で論考したところで、
BABYMETAL全体を語るには、まずはライブを観なければ話にならない。
BABYMETALが正真正銘のライブバンドであることに異を唱える方はほとんどいないとは思うが、
ライブバンドを定義した際、BABYMETALは、他のライブバンドとは異なる特徴を備えてる。

 

そもそも「ライブバンド」という言葉に具体的な意味はなく、それは曖昧な表現に過ぎない。
当人たちの自己申告であったり、ファン、ないしはメディアがそう評したりすることもある。
活動の中心がライブであったり、CDの販売やメディア出演よりライブを優先させるバンド、
あるいはライブが本領発揮のバンドなどがその対象になるのだろう。
どちらにせよ、ライブで集客力があり、演奏力が高いことが条件となるのではないだろうか。

 

それらの「ライブバンド」である条件を、もちろんBABYMETALは完備しているのだけれど、
他のライブバンドとは決定的に異なる点がBABYMETALには存在する。
それは言うまでもなく、彼女たち3人が魅せるダンスパフォーマンス、
ひいては、世界観をバッグに劇場型のスペクタクルと化すステージングそのもの。
CD販売よりライブを優先させるバンドであっても、まずは音源をリリースし、
それからツアーを行うところを、BABYMETALは、それのために結成されたと断言してもいいほど、
まずはライブを主体に活動し、そこで振り付け込みの新曲をお披露目し、
ダンスやアレンジに精度を追求できる余地があれば、練度を積み、より完成度を高めていく。
KOBAMETALの言葉を借りれば、ミュージカルBABYMETALのロングラン公演がライブ。
そしてそのサンドラトラックとして発売されるのがCDとなる。
つまることろ、CD発売までの過程が、他のライブバンドとは決定的に違うのである。
このあたりは最近の3人のコメントにも多く反映されているので理解されてる方も多いのだと思う。
先ずはライブで披露。そして次々に改善を施し、ライブで育てていった最終形がCDとなっている。

 

もっとも、音源がリリースされないことには、ライブですぐにノルことも難しいから、
既にライブで披露済みの曲が6曲、未披露の曲が6曲収録されている今回の2ndアルバムは、
プロデューサーの思惑とファンの期待をうまい配分で収めた作品であるとも言える。
そして今後発売されるアルバムも、ライブで曲を披露して育てていってから発売されるのだろう。
こういったアプローチ、プロセスを経て、CDをリリースするアクトを、僕は過去に知らない。
ゆえに、これまでに存在しなかった正真正銘のライブバンドと言えるのではないだろうか。

 

その2ndアルバムのタイトルとなった「METAL RESISTANCE」。
メタルの復権を掲げているのが「METAL RESISTANCE」であることは周知の事実である。
では、何を以て、何を成したところで、メタルが復権したと言い切れるのだろうか。
おそらくそれはメタルを含めたロック全般がメインストリームになることを指すのだろう。

 

けれど、と僕は異を唱える。
けれど、BABYMETALは果たして、メインストリームになろうとしているのだろうか――。
否、そんな考えは持ち合わせていないのだろうと個人的には思う。
広告予算をほとんどかけずにネットやバイラルでここまで世界中にムーブメントを起こしたのだ。
それは即ち、彼女たちが既に成功していることを明確に示している。
「THE ONE」では、世界をひとつにと歌ってはいるが、
それは会場にいる、多国籍の観客たちを、BABYMETALの音楽でひとつにするという意味。
音楽シーンの主流になろうがなるまいが、これからも彼女たちの成功は続いていく。
そもそも、こと音楽に関しては、流行っているからといってそれが本物であるとは限らない。
日本ほどメインストリームの音楽とアンダーグラウンドの音楽の間のギャップが大きい国はない。
だからロックやメタルがメインストリームになることは今後も間違いなくないと思われるが、
でもひょっとしたら、BABYMETALがメインストリームになることはあるのかもしれない。
最近の国内での取り上げられ方を考慮するに、僕はそういった淡い期待を抱かざるを得ない。

 

では他国、例を上げるなら、BABYMETALの第二の母国、イギリスではどうだろうか。
最近のUKシーンでは、少なからずロックがメインストリームに踊り出そうとしていると、
記事にしている媒体も幾つかあった。
だからこそ、それを密かに目論む者たち、主に若手のラウド系ミュージシャンたち、
具体的にはBring Me The HorizonやEnter Shikari、All Time LowやMarmozetsといった
これからのイギリスのHR/HMシーンを担っていく次世代のミュージシャンたちが、
より彼女たちにシンパシーを感じ、これほどまにサポートしているのでは、と個人的に思う。
ロックやメタルがUKシーンのメインストリームに復権。
仮にその一翼を、BABYMETALが少しでも担うことが出来たら、それほど感慨深いものはない。

 

そしてそういった現象が本当に起こり得るうえで欠かせないのは、やはり、メタルと対を成す、
BABYMETALの“ kawaii ”要素=ポップであるこは説明する必要はないだろう。
現代ポップの折衷主義は、BABYMETALの出現によって間違いなく新しい段階に入った。
現行のラウドミュージックも、BABYMETALのサウンドによって新たな局面を迎えるように思う。
Skrillexが示したように、彼女たちの音楽はEDM界隈にも刺激や影響を与え始めている。
90年代以降、レゲエ、HIPHOP/RAP、EDMと多様化していった世界の国々の音楽シーンは、
もしかしたらBABYMETALが中心となった渦によって様々な変化が起こっていくかもしれない。
かなり誇張した推測であることはわかってはいるが、それでも期待を抱かずにはいられない。
音楽の複数のジャンルの重なったところで、彼女たちの音楽は堂々と根を張っているのだから。

 

 

 

その後、バッキンガム宮殿を見学すると、僕はグリーン・パーク駅に戻ることにした。
グリーンパークを歩いている途中、1人のキツネから声を掛けられた。
互いがBABYMETALのTシャツを着ているから一目瞭然だった。
昨日、今日と、そんな具合に、何人かの人に“ BABYMETAL ”と声を掛けられたのだった。

 

清々しい気分だった。
僕はグリーン・パークをゆっくり歩きながら、晴れ渡った青空に視線を向けた。
元来、人生の生き方は自由で美しく、素晴らしい冒険の旅であるのだろう。
若い頃はインドに40日間滞在したことがあるが、その頃はまさに人生を謳歌していた。
しかし少し前までの僕は、そういった自由な生き方を完全に見失ってしまっていた。
社会人となり、閉塞感の漂う世界に生き、失敗を恐れ、その日をただ漠然と過ごしていた。
誰にも迷惑をかけないということだけを肝に銘じて。
欲に振り回されると必ず見失うものがあるといった危機感を絶えず心に抱いていた。

 

しかしそんな窮屈な生き方は、元から失敗であるということに気付いた。
BABYMETALに出会ってから、僕は自由で美しい生き方をある程度取り戻した。
人生の中で「すべてが変わる瞬間」があるなんて思ってもいなかった。
いや、そんなことが起こるなんて一度も考えたことがなかった。
だけどBABYMETALを知った瞬間、それはまさに起こった。
大袈裟ではなく、彼女たちのおかげで、人生観そのものが変わったのだった。

 

また、BABYMETALの音楽にハマったことで、僕は再び幅広く洋楽を聴くようになった。
特に2000年以降の、メタルコア、ポストハードコアあたりは多少は詳しくなった。
そしてBABYMETALの音楽は、やはり自分の音楽的嗜好を再確認させてくれた。
これまでに様々なジャンルに寄り道したけれど、僕はヘビーな音楽が一番好きだと思い知った。
畢竟、僕の人生における音楽遍歴の最後を埋めたワンピースがBABYMETALの音楽であった。
彼女たちの音楽はこれからも消費し続けるが、僕の今後の人生の中で決して枯渇することはない。

 

畏れ多くも、ここで僕は、僭越ながら衷情を思いきって披瀝する。
おそらく多くの人は、今、自分はどうするべきか、心の中ではわかっているんだと思う。
人生の目標を教えてくれるのは直感だけ。
ただ、それに耳を傾けない人が、世の中多すぎるような気がする。
今回のライブは日本でもLVで生配信され、1万人以上の方が全国の会場に詰めかけたようだけど、
もしかしたら、渡英しなかったことを強く後悔した方が、その中に何人かいたのではないだろうか。
2014年度のワールドツアーを観に行かなかったことを後々まで悔やんだ僕みたいに。

 

たとえば一生に一度だけだと思えば、早いうちから諸々の準備と覚悟はできるのだと思う。
海外のキツネたちが熱狂するライブに身を置く体験は、間違いなく君の人生を豊かにしてくれる。
テロの危険性は常に孕むが、それを気にばかりしていたら海外旅行はできない。
大切なのは、自分がしたいことを自分が理解し、断固たる決心でそれを実行に移すこと。
“ 生きるとは呼吸することではない。行動することだ ”
これはまだ若かった頃から口走っている、自分の言葉による座右の銘である。
本当に? ――おそらくは。
あ、いや、でも……、もしかしたらジャック・ルソーが先に言っていたかもしれない。

 

グリーン・パーク駅の構内に入った時だった。
そこでも、すれ違いざまにキツネに遭遇した。
彼も僕もBABYMETALのTシャツを着ているから、
彼とは目配せをするだけで意思の疎通が図れたような気分になったのだけれど、
面白いもので、その前段階の所作、
さりげなく互いの着ているTシャツに視線を落として確認する仕草は、
まるで映画の「プライベート・ライアン」のとあるシーン、フラッシュに対しサンダーと答える、
味方かどうかを確認しているように思え、なんだかとても可笑しかった。
「おれはフラッシュだ。おまえはサンダーなのか? おお、同志よ」そんな風に。

 

彼はすれ違いざまにイヤホンを右耳から外すと、「New Album」と一言残して去っていった。
僕は笑顔で彼の背中を見送る。
彼が聴いているのは間違いなく「METAL RESISTANCE」なのだろう。
それにしても彼の手荷物は随分と少なかった。
観光をしているということは、おそらくは海外からの遠征組なのだろうが、
彼が持っているのは小さなリュックのみだった。
でもそれがきっと正しい選択なのだろう。

 

“ いつだって旅に必要なのは大きなカバンではなく、ヘドバンできるBABYMETALの音楽さ ”
本当に? ――おそらくは。

 

 

 

 

 

 

 

外国に来ると自然と思慮深くなる。
むしろそうならなければ国外へ出る意味はないのかもしれない。
日本古来の風習に触れたり、歴史ある建築物を目にしたりすると情緒を感じるものだけど、
西洋の建物がひしめく街並みもなかなかの趣がある。
僕は景色を眺めながら、そこに住む人たちの生活を想像する。

 

それから僕は移動してロンドンブリッジまで行き、駅周辺を散策した。
ふとCDショップが目に留まったので入店した。
生憎と海外版「METAL RESISTANCE」は品切れだったが、
店内ではふつうに「KARATE」が流れていた。
僕は微笑を湛えながら店を出ると、近くにあるマーケットに入店した。

 

そこで僕は、BABYMETALが表紙の「ROCK SOUND」を購入したのだけれど、
それが店内の一角から流れてきたのは、それから10分ほど経った時のことだった。
高性能なヘッドフォンなどを売っているオーディオコーナーで、再びそれを聴く機会を得た。
もしかしたらラジオなのかもしれない。
その空間で流れていた曲は、なんとまた、BABYMETALの「KARATE」であった。

 

僕は人目も憚らず破顔する。
どうにも笑みを浮かべずにはいられなかった。
なんとも言えない温かな心地に身が包まれる。
それからしばらくの間、僕はその馴染みのある楽曲を聴くことだけに没頭した。
バックパックのポケットにしまってあるiPodを取り出す理由は、一切見当たらなかった。
今はイギリスにいるのだから、その間くらいは、この国で愛されている音楽を聴くべきだろう。

 

本当に? ――もちろん。

 

でも、昨夜の「THE ONE」では多くの国旗が掲げられていたから、最後に少し触れておく。
彼女たちを愛している国はこの限りではない、そう記して筆を置く。

 

 

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